爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢の話「クロスワードパズルを作成するのに苦労する」

今日の夢はいつもの夢の傾向(昔の仕事、旅行、学校)とはかなり違って、初めてのもののようです。

 

クロスワードパズルを、自分で作るというもので、しかもその細部までかなり苦労しています。

 

全体としての形状が決まっており、なにかキノコのように上部が膨らんでいるような形に納めなければなりません。

言葉も最長のものが10文字程度、それを横と縦に配置する必要があります。

 

最長の言葉から決めたのですが、それがなぜか「ン」の字で終わる言葉で、それを横の列に配置すると、一番右側の縦が「ン」で始まる言葉になるので、(日本語では)できません。(アフリカならOKの言葉もある)

 

それでどうしようかと頭をひねると言う変な夢でした。

 

 

ここからは、実体験。

私はこういったパズルなどが大好きで、以前はそういった雑誌を毎月買って暇があれば解いていたものでした。

パズル作者が足りないという噂も聞いてはいましたが、まあ一応会社勤めでもあり、そういった大それた考えもなく問題を解くばかりで満足していました。

(そういった雑誌には解答を応募すると抽選で景品をくれるものがあり、何度か当たったものです)

しかし、今考えればあのときに本当にパズル作者を目指した方が生涯所得は多かったかも。

そんな後悔が今になって夢に出てきたか。

 

「カクレキリシタンの実像」宮崎賢太郎著

ちょうど「長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録され、観光客も増加し、テレビでも時々その様子が放映されています。

しかし、その「潜伏キリシタン」(隠れキリシタンと言う方が通りが良いでしょう)の実態というものはあまり知られていないでしょう。

 

この本は宗教史学が専門で、ご自身も長崎出身であるために以前からカクレキリシタンの実情の調査も行ってきた宮崎さんが、その結果を踏まえてその姿を描写しようとしています。

 

カクレキリシタンというものは、一人で信じているといったものではなく、集落などでまとまって宗団を形成して続けてきたのですが、どんどんとそれが解散されています。

長崎の離島などが主ですので、それでなくても人口減が続き、若者も居なくなり担い手がいなくなっていきました。もはや継続は不可能となったのでしょう。

 

いろいろと基本的な疑問があれこれと浮かびますが、そこがカクレキリシタンと言うものの本質とも重なります。

 

なぜ、彼らを今でも「カクレキリシタン」と呼ぶのか。

かつてのキリシタン禁教の時代とは異なり、すでに「隠れる」必要はないのですが、それでも「カクレキリシタン」であり続けたのです。

「自分たちがキリシタンであることを知られないように隠れている」というのが普通の印象でしょうが、そうではなく「御神体を人に見せるとタタリがあるから”隠している”」と言うのが実像なのです。

したがって、本来は「カクレキリシタン」と呼ぶのではなく「隠しキリシタン」とでも呼ぶべき存在なのです。

 

彼らは今でも「キリスト教徒」なのでしょうか。

これは、「キリスト教徒」とは何なのかと言うことを明確にしなければなりません。

洗礼を受けた人、毎週教会に通う人、朝晩祈り(オラショ)を唱える人、等々の定義が思い浮かぶかもしれません。

しかし、そもそも室町時代にザビエルの日本布教開始後の約半世紀に40万人のキリスト教改宗者が生まれたと言われていますが、彼らがすべて「敬虔なクリスチャン」であったとは、とても言えないようです。

まず改宗した大名や領主たちは、宣教師を通じて南蛮貿易を行う事ができるとして形だけクリスチャンとなりました。

そして、その家来や領民たちは領主に半ば強制されて改宗しました。

とても、キリスト教の教義を理解してのことではありません。

しかも、その後宣教師は追放されたり、殉教したりして17世紀なかば以降は日本には一人の宣教師もいなくなりました。

キリスト教の教義を伝えられる人もなくなった中で、その信仰が正しく伝えられたとは考えられません。

そのため、明治以降に禁教令が解かれたあと、フランスなどから宣教師がやってきてもそこに参加することもほとんど無く、それまでのカクレキリシタンの伝統を守り続けました。

彼らは、実質的にはキリスト教徒とは言えず、典型的な日本の世俗宗教の信者と言えるでしょう。

 

著者は宗教研究を始めた1980年代以降、各地のカクレキリシタン宗団の調査をしてきました。

彼らはキリスト教の信仰を守るという意識はなく、先祖から伝えられた信仰の行事を伝えることだけが目的でした。

オラショ(祈り)もその意味はまったく伝わらず、ただ呪文としてのみ口伝えされました。(これは、文書を残したら証拠となり処刑されるからという意味がありました)

伝統オラショだけではなく、あとから創作されたものもあるようですが、いずれもその内容は現世利益を求めるものであり、キリスト教の本来の来世利益を祈るものは一つもありませんでした。

 

なお、著者は「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」と言う用語はやはり意味が違うと考えています。

江戸時代の禁教令が出ていた時代の人々が「潜伏キリシタン」、明治になり禁教令が解かれたあとも以前の信仰形態を続けている人々を「カクレキリシタン」と呼ぶべきだろうとしています。

 

最後に、キリスト教布教の現状についても触れています。

結婚式は皆教会で行うようになった現代日本ですが、キリスト教の信者に正式になっている人々がごくわずかです。

カトリックプロテスタントをあわせても65万人ほどだそうです。

これは、韓国の1400万人と比べると大差があります。

どうやら、韓国やフィリピン等のアジアで多くの信者を獲得している国々では、かなりキリスト教も国独自の変化を許容し、土着化をしているようです。

しかし、日本ではそのような変容は認めようとせず、かたくなに本来の教義を守っているために改宗者が少ないのだとか。

 

なかなか、深刻な問題が含まれているものだと思いました。

 

カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰 (角川ソフィア文庫)

カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰 (角川ソフィア文庫)

 

 

「ドキュメンタリー 豪雨災害」稲泉連著

今年も西日本の広い範囲で豪雨災害が起き、多くの人が犠牲となりました。

この本は、東日本大震災が起きた年の夏、紀伊半島を襲った豪雨災害を中心に、ノンフィクション作家の稲泉さんが現地取材を行ってまとめたものと、専門家には危険性が共有されながら、一般にはなかなか危機感を持たれない東京の低地の水害危険性について書かれたものとを一冊の本としたものです。

 

2011年、東日本大震災が起きた年の9月、台風12号の来襲により刺激された前線が紀伊半島に大量の雨を降らせました。

地震津波の被害が大きすぎたために、人々の記憶からも薄れがちかもしれませんが、奈良県南部の十津川村和歌山県那智勝浦町で大きな水害を引き起こし、100名近い方々が犠牲になりました。

那智勝浦の当時の町長のご家族が自宅で被災して犠牲となったものの、町長は災害対策にあたったという話は当時に聞いた覚えがあります。

 

4日間にわたり紀伊半島各地に降り続いた雨は、大台ケ原で2400mm、奈良県上北山村でも1800mmという大変な量に達しました。

その結果、十津川村熊野川流域では山の表面だけが崩壊するのではなく、深いところまで全体が崩壊してしまう全層崩壊が村内各地で起きました。

道路も各地で被害を受けまったく交通が遮断されてしまった地区も多く、被害の状況の把握すらできない状態が長く続いてしまいました。

役場の職員も自宅から動きが取れず役場の機能が働かないままだったそうです。

 

十津川村の南の那智勝浦町でも同様に大量の降雨量となりました。

しかし、役場の不安は南部の太田川流域に集中し、監視もそちらを中心にしてしまいました。

北部の那智川はこのところは大きな水害に見舞われていなかったために、注意が薄くなっていました。

当時の町長の寺本眞一氏の自宅もそちらの市野々地区にあり、奥様と娘さんを自宅に残したまま町役場に詰めて警戒にあたっていました。

しかし、この時の雨の降り方は那智川流域の方に集中しており、一時間100mmを越える豪雨が数時間続いて市野々地区とその下流の井関地区の各所で一気の増水が発生し、町長の自宅を含めて多くの家を飲み込みました。

 

那智川流域では、そこに住む高齢者でも水害の記憶が無いという、ここ数十年は安全であったところでした。

しかし、豪雨災害の専門家から見ればこれまでに何度も水害で流されたことが明らかな地形であり、そのような安心感などはまったく根拠のないものだったようです。

そのような思い込みのせいで、起きてしまった水害のあとの対処にも遅れがでて混乱してしまいました。

 

第3章は前の2章とは異なり、「まだ起きていない、(しかし何時起きても不思議ではない)首都圏の低地への浸水被害」についてです。

 

東京の東部、江東区などは「江東デルタゼロメートル地帯」と呼ばれる低地が広がっています。

最近ではあまり意識されていませんが、かつては地下水汲み上げの影響で地盤沈下が進み、海水面より低い地域ということで有名でした。

その後、地下水汲み上げは厳しく制限されたために地盤沈下の進み方にはブレーキがかかったようです。

しかし、地盤沈下が止まっただけだとしても、高くなっているわけではありません。

そこに、もしも河川や海の堤防が壊れて浸水したら、その被害は非常に大きなものとなるでしょう。

利根川、荒川氾濫の場合、死者も数千人に上ると言う予測がされています。

 

この地域が広範囲に水没したというのは、1947年のカスリーン台風の時のことでした。

利根川や荒川上流部の堤防決壊で、東京の下町一帯が水没し、荒川左岸は3週間にわたって水がひきませんでした。

当時はまだ被害者に対する救護も行き渡らず、厳しい生活が続いたそうです。

その後、1949年のキティ台風でも堤防決壊が起きましたが、それを最後に東京下町の水没する水害は起きていません。

 

これが、堤防を補強した効果で水害が遠のいたというのなら良いのですが、ただ単にそれを越えるような激しい集中豪雨が来ていないだけということかもしれません。

しかも、現代の東京にはかつては無かった地下街や地下鉄が無数に存在します。

そこに水が入り込んだらその被害も大変なものになるでしょう。

河川の堤防は確かにかなり補強が進んでいます。

しかし、実はそこに大きな弱点が潜んでいます。

鉄道が河川を渡る橋梁は、地盤沈下とともに下がっているのですが、それの付替え、補強ということは行っていません。

もしかすると、京成本線の荒川橋梁やJR東北線の鉄橋の部分が決壊の引き金となるかもしれません。

 

「線状降水帯」という言葉が一般にまで知られるようになった現在です。

これがもし利根川や荒川上流にかかって何日もの間豪雨が降り続いたら、相当危険な状態になるかもしれません。

 

 

 

50年前の高校の名簿 今では考えられない記述

私の高校時代の生徒会名簿、もう50年近く前の話となってしまいました。

本棚に当時の名簿が残っていたのを、たまたま手にとって見てみると、改めて時代の違いを感じます。

 

神奈川県立◯◯高等学校昭和45年度名簿なのですが、当時は気がついていなかったのですが、「PTA・生徒会」名簿で、PTAが発行元でした。

 

近頃では、学校で名簿も作らないところがあるとか、個人情報保護が少し行き過ぎの風潮もあるようですが、半世紀前にはそのような気遣いなど全く無く、個人情報全開のものとなっています。

 

住所、電話番号も全開ですが、驚くのは、「保護者名」ばかりか、「保護者の勤務先」まで明記してあることです。

 

さすがにクレームでもあったのか、私が3年の時の「昭和47年版」では「保護者勤務先」はカットされました。

 

しかし、見ていると面白い。

もちろん、生徒だった我々がもう60を越えている年代ですので、親世代は多くは亡くなっているでしょう。

神奈川県も湘南地方ですが、保護者の多くは東京・横浜方面に通っていたサラリーマンらしいことが分かり、勤務先も名の通った大企業が目に付きます。

私の父も、すでに記憶が曖昧になっていますが、その時点では定年を前に子会社に転籍していたということが分かりました。

 

面白いのは、その後私自身が入社して勤務していた会社の在籍者が父兄の中に数名居たということです。

とはいえ、別に意外でもなく、高校の所在地と会社の湘南工場がすぐそばだったため、近くに住んでいる人も多かったと言うことでしょう。

その子供の生徒もそれほど親しい人はいなかったのですが、もし友人だったら彼らに話を聞いていれば入社しなかったところです。残念だった。

 

ただ、中には勤務先欄に「無職」と書かざるを得なかった人も居り、御本人は嫌だったろうなと思います。

それが、その後その記述も無くなった理由でしょうが、時代が違うというか、おおらかというか、無神経と言うか、昭和の風習を強く感じます。

今、もしもそのような名簿があったら、その欄は「無職」や「アルバイト」や「生活保護受給」が続出かな。

 

「ホモ・デウス 上巻」ユヴァル・ノア・ハラリ著

全世界でかなり話題となっているらしい、ユヴァル・ノア・ハラリさんの新著です。

 

そんなことは何も知らずに、図書館で新刊書ということで見つけ、面白そうな題名だと借りてきました。

すると、ちょうどその日の夕方のテレビにハラリさんのインタビュー番組が。

相当話題になっている人だということを初めて知りました。

前著の「サピエンス全史」というのが世界的なベストセラーとなったとか。

それに続く話題の書と言うのがこの本です。

 

副題は「テクノロジーとサピエンスの未来」

ハラリさんは歴史学者であり、おそらく前著も歴史を語った本だと思いますが、本書では歴史から一歩踏み出し未来の話をしています。

 

ホモ・サピエンスとは、言わずとしれた現生人類の学名、ホモは「ヒト属」、サピエンスは種名で「賢い」を意味するラテン語から来ています。

そして、「ホモ・デウス」のデウスは「神」

ホモ・サピエンスはやがて神の領域に達してこういう名前になるだろうという、ハラリさんの予測によります。

 

本書は上下2巻であり、今回読んだのは上巻のみで、本来ならば下巻まで読み通してから書評を書くべきなのでしょうが、すでに上巻の最初を読んだだけで分かったような気分になりましたので、ここでまとめておきます。

下巻を読むかどうかは分かりません。体力気力が十分ならば読むかも。

 

しかし、人類が各文明そろって宗教というものを発展させた時期から、すでに動物ではなくなったという指摘は鋭いものでしょう。

そこでは、「神」というものを創造したのと同時に、人類は動物から別れて離陸し神に近づいていったと言うことが起きていました。

動植物を人類の好きなように利用するということを、合理化して良心に恥じること無く実施できるようにしてしまいました。

 

これは、徐々に神の領域に近づいているということだったのです。

 

そして、バイオテクノロジーやAI技術の長足の進歩を手にした人類は、ここでさらに高度を上げ神に近づいていくだろうということです。

 

 

以下は、私の個人的見解。

歴史学者である著者のハラリさんは、それでも現代の科学技術について非常によく調査研究されているということが分かります。

しかし、残念ながら技術者の誇大宣伝に少し踊らされているのでは。

この本に取り上げられている技術分野ではおそらく言われているような段階にまではいずれは進んでいくでしょう。

それ以外の、重要な分野ではすべてうまく行くとは限らず、そこが大きな破れとなって現代科学技術全体が潰れる危険性もあるのではと思っています。

 

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

 

「中国台頭の終焉」津上俊哉著

アメリカの一極支配に陰りが見え、その代わりに中国が台頭するという見方をする人が、専門家、一般人を問わず多いようです。

しかし、通産省官僚から中国の日本大使館参事官を経て対中国のさまざまな交渉に関わってきた著者の津上さんから見れば、「中国台頭は終わる」としか見えないようです。

さらに、もうアメリカのGMPを中国が追い越すのも間近と言われていても、そのような時は来そうもないとしています。

 

本書出版は2013年、アメリカ発のリーマンショックで全世界が打撃を受けたのですが、中国のみは大規模な財政出動で速い復活を果たしました。

しかし、著者に言わせればその対策自体が非常に危ういもので、その副作用も中国全土に深く残っており、それが逆に中国の苦しみの基にもなるということです。

 

発表される中国の経済指標はお手盛りのもので、まったく実情とは違うとはよく言われることですが、実際に中国はこの5年前にはすでに「中成長モード」に入っていたようです。

過去の飛び抜けた成長を許した要因はすでにピークアウトしており、転換点をすぎてこれからは、高付加価値、生産性重視の路線に変化しなければならない状況になっているはずです。

 

しかし、リーマンショックによる大不況対策として、中国は「4兆元の公共投資」と言う対策を実施し、形の上だけは不況回復を成し遂げたように見せました。

しかし、これらは固定資産投資に偏っていたために、今後に残る後遺症が厳しいものとなっています。

 

中国国内では、民間の大きな企業が発展し活躍していると言われています。

しかし、そこで名前の出るアリババ、フアウェイ、等々の企業が目立つものの、意外に数は少ない。

実はこのような世界的大企業となったものはごく少数で、ほかは今だに国営企業とその関係者だけというのが中国の実情だそうです。

いまだに、「国家資本主義」が大部分を占めています。

それは、共産党の各段階の地方組織が基盤となっており、そこが富を吸い上げる構造となっています。

民間企業も成長しようとすれば地方政府に擦り寄らねばならず、公正な競争とは程遠い構造です。

地方政府の方針も全国同様となるばかり、過当競争となり投資もすぐに過剰となります。

日本でもかつては「テクノポリス構想」に全国各地が名乗りを上げ、どこもものにならず空き地ばかりと言うことになりましたが、中国の場合は地方政府がすべて同じことをやり出すということにブレーキがかからず、さらにひどいことになります。

 

中国の近未来の最大の危機は、少子高齢化と老人の年金制度が貧弱なことでしょうが、いずれもまともな対策は考えられていません。

地方政府に集中する富を年金制度に振り向ければまだ救済されるのでしょうが、それは無視されています。

さらに、出生率は「1.18」というとんでもない数値が公表されました。2010年のこの発表は、衝撃を生みました。

生産年齢人口はすでにピークアウトしており、あとはどんどんと減る一方です。

 

さらに、都市部と農村部の格差は広がり、制度上の問題もあり解消する見込みはありません。

都市戸籍を持たないまま、都市部で底辺の労働者として雇われている農民工の不満は大きく、対日問題が起きるたびに暴動を起こすのも彼らです。

日本が問題というよりは、政府に対する不満が爆発するのであり、それを政府も利用しています。

 

このように、一部の企業では世界的な活躍もあるものの、中国全体としてこれ以上の成長は難しいというものです。

 

さて、真実はどこにあるのでしょうか。

この本に書かれていることも多くは間違いのないことかもしれません。

しかし、アメリカの退潮が急激であることを見ると中国が相対的に持ち上げられざるをえないということもあるでしょう。

いずれにせよ、アメリカと中国の関係で世界が動くと言う状況は当分続きそうです。

 

中国台頭の終焉 日経プレミアシリーズ

中国台頭の終焉 日経プレミアシリーズ

 

 

夢の話「自宅を新築したけれど会社までどうやって通うのか迷う」

久々に、舞台から状況まで非常に鮮明な夢を見ました。

 

夢の中で自分はまだ会社に勤務。それもどうやらかつて通っていた神奈川の研究所のようです。

 

その当時は考えもしませんでしたが、夢では自宅を新築しました。

◯◯ハウスのCMに出てくるような、広い吹抜があるような住宅です。

建てている場所は湘南地方とはいえどかなり田舎の様子。周りには畑が多いところです。

引っ越しも終わり片付けて、それでは会社へ出勤しようかということになって、どうやって会社に通勤するのか方法が分からないと言うことに気が付きます。

 

最寄りの駅までバスで出て、そこから相模線で茅ヶ崎へ、そこからさらにバスに乗り換えて会社近くの停留所まで行くのが通常のルートのようですが、非常に時間がかかりそうです。

実際に、一度試しに行ってみたところ、バスはなかなかやってこない。駅まで行くだけで大変な苦労です。

 

そこで思いついたのが、かつて使っていた原付バイクで通うという方法。

ただし、もう何年も乗っていないのでまともに動くかどうか不安があります。

バイクを分解しあちこちに給油して動きを確認するというところまでで目が覚めました。

 

今まで、会社づとめの時には、ほとんどのところで自転車か徒歩通勤で、バス・電車を使って通勤したことはありません。

大学時代に2時間近くかけて満員電車で通学したのに懲りて、なるべく電車通勤はしたくないと思っていたので、そこだけは希望通りでした。

満員電車通勤というものに、怖れを感じていたので、それがまだ夢にまで出てきます。

 

それにしても、夢の舞台が藤沢茅ヶ崎の山側とは。

団地や分譲住宅が点在し、その間にキャベツや大根の畑が広がると言うところでした。