爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

50年前の高校の名簿 今では考えられない記述

私の高校時代の生徒会名簿、もう50年近く前の話となってしまいました。

本棚に当時の名簿が残っていたのを、たまたま手にとって見てみると、改めて時代の違いを感じます。

 

神奈川県立◯◯高等学校昭和45年度名簿なのですが、当時は気がついていなかったのですが、「PTA・生徒会」名簿で、PTAが発行元でした。

 

近頃では、学校で名簿も作らないところがあるとか、個人情報保護が少し行き過ぎの風潮もあるようですが、半世紀前にはそのような気遣いなど全く無く、個人情報全開のものとなっています。

 

住所、電話番号も全開ですが、驚くのは、「保護者名」ばかりか、「保護者の勤務先」まで明記してあることです。

 

さすがにクレームでもあったのか、私が3年の時の「昭和47年版」では「保護者勤務先」はカットされました。

 

しかし、見ていると面白い。

もちろん、生徒だった我々がもう60を越えている年代ですので、親世代は多くは亡くなっているでしょう。

神奈川県も湘南地方ですが、保護者の多くは東京・横浜方面に通っていたサラリーマンらしいことが分かり、勤務先も名の通った大企業が目に付きます。

私の父も、すでに記憶が曖昧になっていますが、その時点では定年を前に子会社に転籍していたということが分かりました。

 

面白いのは、その後私自身が入社して勤務していた会社の在籍者が父兄の中に数名居たということです。

とはいえ、別に意外でもなく、高校の所在地と会社の湘南工場がすぐそばだったため、近くに住んでいる人も多かったと言うことでしょう。

その子供の生徒もそれほど親しい人はいなかったのですが、もし友人だったら彼らに話を聞いていれば入社しなかったところです。残念だった。

 

ただ、中には勤務先欄に「無職」と書かざるを得なかった人も居り、御本人は嫌だったろうなと思います。

それが、その後その記述も無くなった理由でしょうが、時代が違うというか、おおらかというか、無神経と言うか、昭和の風習を強く感じます。

今、もしもそのような名簿があったら、その欄は「無職」や「アルバイト」や「生活保護受給」が続出かな。