著者は考古学が専門で、九州大学名誉教授という方です。
この分野の研究者は、一般向けの講演を依頼されることも多く、その講演要旨も整備されていたということで、まとめて一冊の本とされました。
弥生時代から古墳時代といった古代には、一般の人々の関心も強く、講演でも多くの反応が帰ってくるようです。
本書は全3巻の中の上巻ということで、弥生文化について書かれますが、中巻では古墳文化、下巻では地域の考古学と言うテーマでまとめられているそうです。
大きな主題として「北東アジアの」と付けられている通り、日本国内の遺跡だけを扱うのではなく朝鮮半島や中国本土に至るまで多くの遺跡についての考察が為されており、日本の古代文化と朝鮮や大陸の関係も興味深いものだということが分かります。
弥生時代の環濠集落というものは、北部九州に特徴的に出現したのですが、同様のものは朝鮮半島に存在しました。
縄文時代末期から弥生時代初期に福岡平野で作られたものは、直接的に朝鮮半島の影響下にあったことを示しています。
それはその後の奴国に発展していったものということです。
しかし、その環濠集落も朝鮮半島で独自に発達したものではなく、起源はやはり中国大陸にあったようで、それは紀元前3000年に遡るものもあるということです。
他の遺物の数々を見ても、朝鮮半島と九州北部の古代における関係というものは明白ですが、それを使った人々がどのような関係にあったかということは、人骨などの証拠がなければ分かりません。
それによると、弥生時代になると人骨に大きな変化が生じ、朝鮮半島に残されているものと類似したものが出てきます。半島から渡来してきた人々が弥生文化の大きな担い手であることは間違いないようです。
古代の文化の広がりを、ユーラシア大陸の西と東で比較すると、漢とローマの類似性が目立ちます。
その対比をすれば日本列島はちょうどイギリスと同様の位置関係になります。
しかし、イギリスは直接ローマの軍団に占領されたのに対し、日本には漢の兵団は届きませんでした。(朝鮮半島の楽浪郡などまで)
その意味では、壱岐島というところの存在が興味深いところです。
クレタにはローマ時代のはるか前になりますが独自の文明がありました。
壱岐にもどうやら一つの文化的な中心が存在した時代があったようです。
2000年に壱岐の原の辻遺跡が国の特別史跡に指定されました。
これは、この遺跡が魏志倭人伝にも出てくる「一支国」の王都と考えられるからだそうです。
九州北部の奴国や、吉野ケ里の弥奴国が繁栄する以前の話だったのでしょう。
著者は邪馬台国は近畿という説ですが、九大名誉教授ということから邪馬台国九州説であろうと大方の人は思うそうですが、銅鏡の分布から近畿であろうと考えています。
この辺の事情は、九大で長く研究をしてきたとは言え、著者の出身地が大阪府高槻市であるということが関係しているのかも。
弥生時代の概観を見るという意味では分かりやすい本だったと思います。講演記録の再構成ということですので、そのせいもあるのでしょうか。