爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「デジタルメディア・トレーニング 情報化時代の社会学的思考法」富田英典、南田勝也、辻泉編

ケータイ、インターネットの発達と言うものはすさまじいスピードで起こっており、その影響と言うものも全国的に同時進行しているようです。
そのような状況下をどのように生きていくか、知識を得るだけでなく実際にトレーニングをしていくことも重要ではないかということで、様々なメディアのそれぞれについて社会学の研究者たちが解説を施し、乗り切る力をつけるようなきっかけもつかめるようにしようという趣旨だと思います。
ただし、本書あとがきにもあるようにこの本を出版したすぐ直後にはまた新たなIT機器、メディアが出現するだろうし書いてあることも古くなっていくだろうということは間違いないでしょう。2007年の出版ですので、スマホのこれまでの急速な広がりも予想できていなかったはずです。
とはいえ、どこかでまとめておく必要はあったということで、少し昔ですがこの本の出版当時に思いを馳せれば現在の状況への対処法も分かるのかもしれません。

第2章ケータイの現在、ですが、「ケータイは敵か味方か」と問われても意味が分からない人がほとんどになってしまっているでしょう。若い年代の人はもはやケータイのない時代と言うものも想像できなくなっているはずです。すべてがそれに基づいて判断されるようになっています。
ケータイの使い方を詳しく調べた調査結果によると、通話機能というものはほとんど使われずほとんどがメール機能使用であったようです。またアドレス帳機能と言うものも意外に大きな意味があり、昔の手書きのアドレス帳と言うものを使っていた世代とはまったく異なる使い方になっているようです。昔の手書きアドレス帳は営業職など限られた人たちが持つものでした。しかし、現在はケータイのアドレス帳はほぼすべての使用者が使っています。
かつては、友達を作る場合かなり親しくなってから連絡先を交換していました。しかし現在の若者はまず初対面で連絡先を交換してしまうそうです。
大学の新年度の始まりは連絡先を交換しようとする学生で溢れているそうです。とにかく学科が同じとか講義受講が同じと言うだけでメルアド交換は当たり前という感覚だそうです。
そのため、アドレス帳に登録される件数も非常に多いものとなっています。昔であれば何人のアドレスが載っているか、数えればすぐわかり、しかも「23人」などと1の桁まで正確に分かったものが、今ではだいたい200とか言った概数だけです。その意味は昔とは大きく違っているということでしょう。
またその中から本当の友人となるかどうかも気楽なもので、ぱっと削除するだけで大して心理的な重圧もありません。これを著者は「引き算の関係」と名付けています。昔の若者の友人関係は単なる知り合いから深まって増えていく「足し算の関係」と言えるものでした。この差は大きいようです。

第7章ケータイの誕生 で語られている歴史では、通常語られている1953年に始まる港湾電話サービスの開始以前に、すでに1916年に実用的な無線電話サービスが実現していたことが挙げられます。しかし、通常はケータイの歴史を語る場合そのような無線電話は除外されています。
今のようなケータイとして捉えられるものの最初と言うものは1979年の自動車電話サービス開始と言えます。使い方等々やはりそこから現在につながっています。
ケータイはパーソナルの使用が前提となります。昔の家庭の固定電話と言うものは一家に一台のものであり、それがパーソナル化に向かうには非常に長い時間がかかりました。実はケータイというものもその初期は集団での利用と言う形態が多かったということです。建設現場のようなところに1台だけ置いてあり皆が共同で使うということが見られました。
それが個人使用と言う形に移り変わっていくのには、1980年代から見られたポケベルの普及が大きかったようです。これが個人同士のコミュニケーションツールとして使われることになり、電話そのものもそのようなツール化をするという方向に動いていったことになります。

その他、インターネットについて、ビデオゲームについて、詳細に語られ、さらに未来についても推論されています。どのような形になるのか予想することは難しいでしょうが、まあ大衆の欲望の動くままに流されていくのでしょうね。