爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『鬼平犯科帳』から見える東京21世紀」小松健一著

池波正太郎の書いた「鬼平犯科帳」は、実在の人物長谷川平蔵を主人公としているものの、その内容の多くは創造されたものです。

しかし、その舞台となった江戸の町は完全に創作かというとそうではなく、実際の町を大きく取り入れているため、現代から振り返ってもここがモデルかということも分かるようになっています。

 

そこで、著者の小松さんは江戸時代の古地図を手に、もちろん現代の地図も参考として町を歩き、鬼平犯科帳の舞台を歩き回ります。

 

小説の中では長谷川平蔵が火付け盗賊改め方の役宅は清水門外、つまり江戸城清水門の外となっていますが、実際には長官の私邸が役宅となったために、長谷川平蔵の時代には平蔵私宅の本所にあったようです。

しかし平蔵死後の48年後の1843年に幕府公設の火付け盗賊改め方役宅が清水門外に設置されました。

わずかな間でしたが、清水門外役宅というものもあったのは確かなようです。

 

長谷川平蔵の実際の私宅というものは、今の都営新宿線菊川駅付近にあったようです。

しかし、江戸切絵図本所絵図というものに、そこより600mほど北側に長谷川と言う屋敷が記されており、それを信じて墨田区も「長谷川平蔵の旧邸」という案内板を設置しています。

これは長谷川でも平蔵とは無縁の旗本の屋敷であったようで、平蔵の時代には菊川に住んでおりそこが火盗改め方の役宅ともなっていたようです。

 

王子飛鳥山の風景は何度か登場していますが、当時の王子は日本橋から2里も離れた町はずれ、お上もうるさくないため花見の際もどんちゃん騒ぎが許されるというところでした。

それまでは花見と言えば上野寛永寺だったのですが、寛永寺は徳川家菩提寺ということで酒宴も制限されていたのですが、飛鳥山はまったく取り締まりも無かったようです。

そこに桜を植えたのは八代将軍吉宗だったようで、1720年に山桜1270本を飛鳥山に植樹しました。

茶屋やその他の娯楽設備の営業も許可したそうです。

 

しゃも鍋屋五鉄というのは鬼平犯科帳の重要な舞台ですが、もちろん架空の存在です。

しかし、その設定ははっきりしており、墨田区の二の橋の角と言うことです。

実際にはそこに1862年創業の鳥料理屋「かど屋」という店があり、池波正太郎もたびたび訪れたということで、そこをモデルに五鉄を作り上げたようです。

「かど屋」は創業者が愛知県出身と言うことで、しゃも鍋も八丁みそ仕立てということですが、さすがにそこは江戸時代に合わせて変えてあるようです。

 

実は「鬼平犯科帳」は全巻読んでいるため、本書で各ページに引用されている鬼平犯科帳のエピソードもすべて見覚えがありました。

その描写もなんとなく受け入れていましたが、確かに「今はどうなっているか」ということを調べていけばこの本のようになったのかもしれません。

それにしても、あの範囲をほとんどすべて徒歩で歩き回るというのは大変なことだったでしょう。