爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「集団的自衛権とは何か」豊下楢彦著

まさにグッドタイミングのような本ですが、国際政治学者の豊下さんが2007年に出版された本ですので、前の安倍政権で気運が盛り上がっていたころの話です。
したがって、憲法解釈の変更と言う欺瞞に満ちた姑息な手段での変更と言うことは考えられておらず、それについて憲法違反かどうかと言うことは話題には上っていません。あくまでもアメリカと組んでの集団的自衛権というものの適否を問うという立場で書かれたものです。もちろん、「否」ばかりですが。

本書の内容に入る前に現在の安保法制議論について触れておきますが、憲法解釈変更は違憲に当たるという議論は少し浅すぎるようにも思えます。正当な方法でもしも憲法の変更と言う手段で、法的にも正々堂々と来たらその論拠は成り立ちません。それならOKでしょうか。そうではないというのが本書の内容であり、私もまったく同意見です。

著者はまず第1次安倍内閣が求めた「戦後体制からの脱却」を解説していますが、それが「憲法改正」と「集団的自衛権の行使」であるということです。この展望を持つ安倍にとり最大の障害はこれまでの政府の解釈です。それは1972年の田中内閣の時に出された資料によれば「集団的自衛権とは自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず実力をもって阻止すること」であり、国際連合憲章51条により「我が国がその集団的自衛権を有していることは主権国家である以上当然である」しかし「個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権憲法の定めにより許されない」というものでした。
その後、1981年の鈴木善幸内閣でもやや論旨は変わるものの田中内閣の資料と同様の解釈をしています。
しかし、安倍は首相になる以前から集団的自衛権行使はできるという自説を展開していたようです。

国際連合憲章には第51条に個別的および集団的自衛権が各国の権利であるということが書かれていますが、これの成立に当たっては各国の議論が白熱したそうです。「戦争に訴える自由」を主張していたのは英仏で、アメリカはそれは否定しあくまでも自衛権の範囲内のみを認めるということを目指しました。ただし、当時すでにアメリカ大陸一帯を同盟国化していたアメリカは「集団的自衛権」でアメリカ大陸内については武力行使の自由を確保したかったということです。
しかし、その後はこの「集団的自衛権」の大国による濫用が頻発する事態になってしまいました。アメリカばかりでなくソ連でもアフガニスタン侵攻に際してはこの集団的自衛権を持ち出した議論を安保理事会で展開しました。
とはいえ、やはり最大の行使国はアメリカです。イラク戦争の際も安保理事会はフランスの拒否権でまとまらなかったにも関わらずブッシュ・ドクトリンという論理でイラクフセイン大統領は放っておけばリスクが増大するので今叩き潰すのが自衛であると言い張り、開戦しました。このような先制攻撃論はこればかりではなく1983年のグレナダ侵攻や1989年のパナマ侵攻など頻発しています。
さらに、1981年のイスラエルによるイラクオシラ空爆での原子炉の破壊と言うものもイスラエル自衛権の行使と主張しました。

著者はここで当時の安倍の主張である(今でも一緒ですが)集団的自衛権実施の例を挙げています。つまり、公海上で米軍艦船と自衛隊艦が行動を共にしているときに武力攻撃を受けた場合応戦できないというものです。
しかし、この想定自体がすでに「テロの時代」においてはもはや時代遅れということです。
ここで著者はベトナム戦争の契機となった1964年の「トンキン湾事件」を挙げています。米軍艦船に北ベトナムから攻撃があったとして反撃したものですが、これ自体がでっち上げの疑いが強いということは別にしても、当時のレトリックは「武力攻撃の発生」に対する「反撃」でした。しかし、「ブッシュ・ドクトリン」によれば北ベトナム側に攻撃をする「能力と意思」があると確認されればその段階で北ベトナムに先制攻撃をすることができるというのですから、北ベトナムからの攻撃を待つ必要はありません。
このように考えているのがアメリカであるならば、米軍と自衛隊が行動を共にしているだけで集団的自衛権により他国に先制攻撃と言う名の自衛行動をする可能性が出てくるということです。

次章には安倍の改憲論理と安保条約についての意識の大いなる矛盾についても触れてあります。押し付けられた憲法を改正し、積極的自主外交を展開すると言っていますが、安保条約は改定するとはまったく言っていません。また戦争についてもすべての判断をアメリカに任せるつもりのようです。つまり、自主外交と言いながら対米従属一辺倒外交であるのはこれまでの自民党政権に比べてもさらにその傾向を強めており、口では唱えている「自主」などどこにもないようです。

1960年の安保条約改訂にあたっての交渉では、アメリカは憲法を改正し集団的自衛権を定めるように迫ったということです。しかし、時の重光外相はそれを断り、憲法はそのまま、集団的自衛権憲法で禁じられる武力行使にあたるとして棚上げにしました。安保反対で有名な交渉ですが、このような一面もあったということは知りませんでした。
アメリカとしては不満な内容だったのですが、当時のマッカーサー大使(あの元帥の甥)は実を取るという方針で、沖縄などの基地を自由に使う権利を保障するということで元を取ったということです。

その後、ソ連崩壊など世界情勢の大きな変化が起こりました。米軍も再編を行っていますが、その中での日米の戦略協議というものは、まったく日本側の考えと言うものは無く、アメリカの世界戦略の押し付けであることは間違いありません。この協議の中で、事あるごとに憲法9条が足かせとなっているのですが、日本側から見ればそれがアメリカにより作られたと言ってもそれで守られているという一面があるということでしょう。この守りを捨てようというのが安倍です。

安倍の論理では、集団的自衛権を確立することはアメリカに対しても「対等性」「双務性」というものを確保することにつながるということになっています。しかし、それがとんでもないことであるのは、諸外国の例を見ても明らかです。アメリカに対し発言力を確保しようとしたイギリスのブレア政権に対しても、有形無形の圧力をかけ続け、イギリスはアメリカへの戦争協力と言う屈服を余儀なくされ多数の戦死者を出しました。それでわずかでもイギリスの発言力が増したというなら、日本が発言力を得るためにはどれだけの自衛隊員の戦死者を出さなければならないのかと著者は問うています。

アメリカとの軍事同盟にあたっては、「核の傘」と「ミサイル防衛」と言う問題も大きく影を落とします。日本が核の傘で守られているから、もしもアメリカ本土にミサイルが向かっていたらそれを落とすというのも集団的自衛権に含まれる問題です。
しかし、現状では北朝鮮などからアメリカ本土を目指した巡航ミサイルは日本上空では高度700km以上に達し、それを日本から撃ち落とすなどと言うのは夢物語です。日本本土のミサイル防衛も実行はほぼ不可能な状態であるのに、そのような幻想を挙げても仕方ありません。

そもそもアメリカの戦略には「敵の敵は友」という原則が色濃くありますが、これで延々と失敗しているのも事実です。イランと関係悪化した際にはイラクフセイン政権への支援を続け、その結果フセイン政権は巨大になり、結局はフセインを倒すために戦争をする必要ができました。アフガニスタンへのソ連の侵攻の際も抵抗勢力のムジャヒディンに多額の援助を与え、その結果ソ連は撃退したもののムジャヒディンはアルカイダへと形を変えアメリカへの抵抗勢力となってしまいました。
それとともに、それまでの敵とあっという間に手を結ぶという性癖も持っています。中国との劇的な国交樹立で振り回されたのは日本だけではありません。このような同盟国と言うものはついていくに値するものでしょうか。

最後に著者は書いています。「戦後体制からの脱却」というならまず「沖縄問題」を片付けろと。押し付けられたものというと憲法9条の他にも安保体制もあります。こちらは不問にして9条だけは改正と言うのは片手落ちです。
日本国憲法がアメリカ占領軍が作り押し付けたものだというのは事実ですが、その理由は実は1946年2月にアメリカで開かれた「極東委員会」対策であったということです。極東委員会は第2次大戦同盟国側の主要国により日本の占領政策を決めるという趣旨のものであり、11か国の参加国にはソ連など天皇制に批判的な国も多くありました。極東委員会で日本の国体についての議論がされると天皇制廃止と言うことになる可能性も強かったそうです。
そのために、極東委員会開催の直前までに天皇制を維持する日本国憲法を制定してしまうことがアメリカ占領軍の占領維持にも役に立つということで即席で憲法制定をしてしまったのでした。
つまり、現行の天皇制維持にも日本国憲法が役立ったということです。
さらに日本の軍備の禁止というものを成し遂げるためにアメリカ軍の基地の増強も確実にすることになり、沖縄を直接統治し基地化するということもやり遂げました。これが戦後体制です。

上記のマッカーサー大使が残した言葉が最後に挙げられています。「日本はアジアの各国と戦時中の軍事的冒険によって歴史的に孤立しており、地域的な安全保障の集団的アプローチをすることができず、結局アメリカとの提携以外に道はない」と言ったそうです。非常に的確な読みであり、日本から派遣されているぼんくら大使とはわけが違うようです。まあ日本大使はクレーム受付係兼政治家外遊の接待係ですから、そんなものでしょう。
著者はさらに言っています。戦後体制からの脱却以前に、戦前戦時体制を支えた価値観からの脱却をしろと。

この先、どのような政治の展開があるのでしょうか。