爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「インターネットの大錯誤」岩谷宏著

昔読んだ本を読み返す時、その当時どのような状況であったかがよみがえる場合もあります。
この本は1998年の出版ですので買ったのもその直後とすると、まだ個人的にはインターネット接続という環境には無く、会社ではようやくコンピュータが行き渡ってきたもののまだ全員に渡るというまでではなく、各人のメールアドレスも無かった頃かと思います。
それ以前には「パソコン通信」なるものが流行しつつあり、nifty とかBiglobeなどというパソ通会社が会員を増やす時代もありましたが、インターネットが普及してくるとあっという間になくなってしまいました。
この少しあとにはようやくインターネット接続をできるようにはなったのですが、まだ電話回線を使ったダイヤルアップ接続というもので、接続時にはピーヒョロロピピポポパと音がしていたのを思い出します。
速度も遅く動画のダウンロードなどは夢のような話で、写真のデータ程度でも何分もかかり待たされたものです。

実際に触れてみるにはかなりの出費もかかった時代ですが、パソ通なら何とか自分の理解の範囲内であってもインターネットというのにはなんとなく胡散臭さを感じており、そこでこのような本も買ってみようかという気になったのでしょう。一番の疑問は「誰が金出してるの」ということで、実はいまでもその疑問は完全には晴れてはいません。

この本の著者は音楽関係が専門だったようですが、この頃からコンピュータ関係の著作も増えてきてそちらに専門が移ったようです。「岩谷宏」で検索してみると本書の内容について痛烈に批判したものも出てきます。
本書の最初には「インターネット=ホームページではない」といった言葉がありますが、その衝撃度はあったもののその後の文章は何か分かりにくいもので、かなりの頻度で出てくる理系技術者を罵倒した言葉「彼らは脳と心が矮小で硬い」というのにはやや違和感を感じていたのも確かなのですが、結局何が言いたいのか良く分からないままといったものでした。

今回読み直してみても、やはり「もっと違うインターネット社会はありえるのかも」といった可能性をほのめかしているのは分かるのですが、それがどのようなものかということは分からないままです。結局著者にも分かっていなかったのでしょう。
そんなわけで、少々時間の無駄のようでした。