ビッグデータそして人工知能という言葉は特に最近語られることが多いのですが、そこには期待もあれば危険性への懸念を持つ人もいるようです。
著者の西垣さんはコンピュータ時代の最初からソフト開発から始めて情報学研究にあたってきた方で、現在のブームにもその裏まで熟知されており、そのおかしな点まではっきり認識しているのでしょう。
なお、2つの大きなテーマを扱っているようですが、重点は人工知能の方に強く置かれているようで、ビッグデータの方は導入ネタといった印象です。
最初の章ではビッグデータの有効性とともに危険性も語られています。
ビジネスのために使うという目論見を持つ人が多いでしょうが、とにかくプライバシーの侵害についてはかなり危ない点があるのでしょう。
「親が死んだらすぐに墓の宣伝がメールで届いた」といった売り込み程度ならまだ無視すればよいのですが、ある人物のあらゆる取引履歴が集められたら銀行やカード会社から契約を断られるといったことになれば人権問題にもなりかねません。
そのようなビッグデータを使いこなすにはやはり人工知能が不可欠ということで、特に2010年代に入ってから人工知能(AI)技術についても盛んに開発研究が進められています。
今ではその二つは不可分であり、言わば「ビッグデータ型人工知能」が登場したともいえるものです。
人工知能が急速に進歩し、将棋やチェスでも名人に勝ったなどということが話題になりますが、実際はこのような人工知能はいわば「専用人工知能」とでも言うべきもので、その人工知能に別のことをやらせるということはできません。
いくらロボットが進歩したといっても「ちょっとそこまでパンを買いに行ってきて」という指令にすんなり従うことはできません。
子供でもできそうなこういった指示でも、例えばパン屋が休業していたらどうするか、行く道が工事をしていて通れなければどうするかといったことの判断は人工知能にはまだ難しいものです。
そういったことができるはずの「汎用人工知能」というものはまだかなり先の技術です。
にも関わらず、一部のコンピュータ開発者たちは人間のような知能を持つコンピュータが近々実現し、2045年にはシンギュラリティ(技術的特異点)に達して人工知能が急激な変化を遂げるなどと言っています。
著者から言えばそのような予測?などなんの根拠もないといったところです。
それでも「2045年」などとそれらしい年まで持ち出すのは、「工学技術は指数関数的に進歩向上していく」といった信念があるからです。
これの基になったらしいのが、集積回路の性能向上の経験則である「ムーアの法則」で、一つの集積回路の半導体素子数は1年半ごとに倍になったということだけのようです。
これは他の分野でも大きな間違いを冒していますがそれは置いておきますが。
こういったシンギュラリティを信じている人は、生物と機械の違いというものを真剣に考えていません。
この「生物と機械の境界線」というものが実は本書を貫く基調テーマであるということです。
この点については本書記述は非常に哲学的なものになっていますので、簡単にはまとめることができません。
ただ、日本人は専門家でもこれを心からは信じていないのではないか。
やはり欧米人のキリスト教徒特有の思考方法ではないかということであり、「一神教の呪縛」とでも言うべきものが底にあるのではないかということです。
なお、最後に言われている問題点は切実です。
人工知能化とかビッグデータ活用とかいった方向により進んだ場合、誰が責任を取るのかあいまいになるのではないか。
大きな事故や失敗が起きても誰も責任を取らないのではないか。
そして、その一方でそれらを用いることを隠れ蓑にして利益を得ようという人間が裏で儲けるということがあるのではないか。
こういった危険性は現在でも表れているのではないでしょうか。
コンピュータ社会、IT社会はそれほど甘く楽しいものではなさそうです。