爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「現代たばこ戦争」伊佐山芳郎著

”現代”とありますが、本書は1999年の出版ですので16年前の状況です。しかし、たばこの規制はこの時よりもかなり厳しくなっているようですが、喫煙者の比率はそれほど変化はないようですし、未成年者の喫煙というものもなくなっていないようですので、著者の危惧はいまだに現実のものかもしれません。

 

著者の伊佐山さんは弁護士で、当時はたばこ病訴訟弁護団長、嫌煙権確立を目指す法律家の会の代表世話人などを務められていた反たばこ運動の中心のような方です。したがって、そのタバコ攻撃の厳しさも相当なものです。

 

本書のテーマは次の3つです。喫煙に関する世界の最新情報を概観し、喫煙規制についての世界の潮流を見る。子供たちの喫煙をどう防ぐか。そして受動喫煙の最新情報の医学的検証を行い非喫煙者の健康を守る道筋を論じる。とあります。

 

執筆当時の98年の喫煙者率は日本では男性で55%と世界各国と比べて非常に高いものでした。(アメリカ28%フランス40%)女性は低いものの他国と比べて減っているという傾向は無く、特に若い女性では急増していました。

当時はタバコパッケージへの警告表示も不十分なもので、98年の調査によると警告表示の有効性採点は日本とイスラエルのみが0点となっています。そのころの表示は「健康のため吸いすぎに注意しましょう」といったもので、これでは警告の効果は全くないという判定でした。

 

タバコに含まれる有毒成分は多数にのぼるということは当時も知られていましたが、ニコチンの依存性というものもより注目されてきだしたというところだったようです。

これがあるがために、喫煙者の健康被害というものが喫煙者の自由意思によるだけのものではなく、タバコを吸うという習慣をつけさせたという意味も含めてアメリカなどでの巨額の被害訴訟につながりました。

 

受動喫煙の被害もまだ現在ほどは周知されていなかった時代であり、本書でも基本的なところからの解説がされています。赤ちゃんの突然死の原因の疑いや、喫煙者周囲の非喫煙者の発がん比率など、当時も続々と発表されていた研究成果が並べてあります。

当時は喫煙規制がなかなか進まない中で、職場などの分煙を求めるという裁判が相次いでいました。その裁判も和解もあるものの、分煙側の敗訴ということも結構あったようで、このあたりはかなり時代の差を感じます。

このような嫌煙権訴訟では判決で「受忍限度論」なるものが持ち出されることも多かったようですが、著者はこのような受忍限度なるものはまったく容認できるものではないと断じています。まだ受動喫煙健康被害についての認識が固まっていないまま、煙に対する好き嫌い程度の感覚であったことがわかります。

嫌煙権主張に対する様々な批判と言うものも、かなりの数の有名人が明らかにしていましたが、こういった人々も今ではそれを口にすることは難しくなっているでしょう。

 

中高生などの喫煙増加というものを特に著者は危機感を持って書いています。これでニコチン依存性に陥るとタバコを止めることができずに健康被害を蒙る可能性が強くなるからですが、ここにもタバコを推進したがる当時の日本たばこ産業と政府の思惑があるとしています。

当時はまだタスポがなかったために、タバコ自動販売機の禁止というものを求めて活動していましたが、その後一応年齢認証の装置が付けられました。まあ抜け道はあるようですが。

 

アメリカではその前からもたばこ会社を相手取った健康被害訴訟が次々と起こり、そのうちに巨額の賠償を取るようになりました。それとともに、アメリカ各州の州政府が医療費増加の損害補償を求めてタバコ会社を訴えるという裁判も行われました。97年に連邦包括和解が成立するのですが、総額42兆円を支払うという大変なものになりました。

日本では起こりようもない裁判ですが、このような動きは影響がなかったようです。

 

その当時によく語られたものが「喫煙とたばこ関連疾患の関係はまだ明らかにされていない」と言うものがありました。疫学調査というものの科学性を理解できなかった(あるいは理解できないふりをした)人々が言い逃れに使ったものですが、もはやそれは成立しないのは明らかでした。

 

本書出版から16年、確かに公共の場所での喫煙はかなり制限されるようになってきました。タバコの価格もかなり上がりました。しかし若者の喫煙者というものが減っているということはないようです。まだまだ現代のたばこ戦争というものは続きそうです。