著者は文芸評論家として、これまでにも村上春樹に関する著書も書いてこられており、毎年ノーベル賞発表の頃にはマスコミの取材を受けることも多く、ある年はテレビスタジオに待機させられ、ドーランまで塗った状態で報せを待ったこともあるそうです。
そこで「本当に村上春樹はノーベル文学賞を取れるのか」ということを改めて整理し直してみようということです。
そのため、「村上春樹の文学」だけでなく、ノーベル文学賞とはなにか、どのような人が受賞しているのか、日本人との関係はどうなのかといったことを論じています。
ボリュームとしては、前半の「ノーベル文学賞とはなにか」と「ノーベル文学賞と日本人の関わり」の方が多くなっており、村上文学に興味の中心がある人にとっては物足りない内容だろうと著者も書いていますが、そこまで村上に興味のない人で「本当に取れるの?」という疑問を持つ人に取ってはかえって分かりやすくなっているようです。
本書は2016年に出版されているため、2016年のボブ・ディランの受賞、そして2017年のカズオ・イシグロについては触れられていません。
この部分が本書の主張とも密接に関わりますので、最初に書いておきます。
ノーベル文学賞の受賞者傾向にははっきりとした選考者の意向が見られ、少しでも大衆文学の臭いが感じられるものは初めから外されており、また政治的にファシズム・共産主義に近いものもすべて除外されています。
まして、歌でアピールする文学などはまったく関係ないものであり、「最近シンガーソングライターのボブ・ディランにノーベル文学賞をという動きがあるそうだが、ポップカルチャーとしての歌詞に賞が与えられる可能性はまずないと考えられる」と書かれていますが、残念でした。外れました。
また、カズオ・イシグロについて書かれている部分は、村上春樹との関係も強いということで、カズオ・イシグロが受賞する可能性もあるとされています。
ただし、ナボコフがいくら英語の作品を発表しても「英語枠」には入らなかったのと同様、イシグロもあくまでも「日本人枠」であり、カズオ・イシグロがノーベル賞を受賞すれば、日本人枠の受賞間隔の12年は村上の受賞がないだろうと予測されています。
この部分が現実となってしまいました。
とすれば、今後10年は村上春樹受賞はないということでしょう。
日本人のノーベル文学賞受賞者は、川端康成(1968年)と大江健三郎(1994年)の二人です。
しかし、候補としてあがり、いい線まで行っていたと見られるのは、賀川豊彦、三島由紀夫、谷崎潤一郎、西脇順三郎といった人たちが居たそうです。
三島・谷崎は有名ですが、賀川は小説家としては疑問符、西脇はその名も知る人は少ないでしょう。
この辺にもノーベル文学賞の性格というものが分かるというもので、大衆文学者といった「ミリオンセラー作家」はそれだけで外されるということもあるようです。
世界的にも、超有名という作家でまったくノーベル賞とは関係のなかった人々が多数居るようです。
逆に、ノーベル賞を取ったことで初めて一般に名を知られるという作家も多かったようです。
谷崎潤一郎は、川端康成受賞のタイミングと同じ時期に名が挙がっていきました。ただし、残念なことに1965年に亡くなってしまいました。
もしも存命なら川端より受賞可能性が高かったようです。
三島由紀夫も同じ頃に名が挙がり、本人もかなり自覚を強めていたそうです。
実は、自衛隊に侵入し自殺したという事件は、このノーベル賞受賞を逃したということが引き金ではないかと疑っています。
ただし、ノーベル委員会の調査がどの程度深くなっていたのかは不明ですが、彼のように右翼思想家というのはノーベル委員会が非常に忌避するところですので、やはり無理だったろうというのが著者の結論です。
ノーベル文学賞の選考委員の基準というものを推し量っていけば、その傾向も明らかに見えてきます。
これまでの「未受賞者」の大物のリストを見ていけば明らかです。
古くは、コナン・ドイル、モーリス・ルブラン、アガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、レイモンド・チャンドラー、フレデリック・フォーサイス、エドガー・ライス・バローズ、グレアム・グリーン、等々
とにかく、「エンタメ系」と呼ばれる作家、ミリオンセラー作家はどうも初めから除外されているようです。
とにかく、「ミステリー、SF、ホラー、ヒロイックファンタジー、ポルノグラフィー、コメディー、物語的な歴史小説」といったジャンルは相手にされていません。
また極端な政治思想は嫌われており、ナチズム、ファシズムもNG。
共産主義者も完全に排除されてはいないものの、あまり好かれてはいないようです。
かえって、旧ソ連や中国に関係するものをみると、反体制文学者や亡命者に受賞させているようです。
ノーベル文学賞の初期には、英語、フランス語、ドイツ語を中心としていましたが、徐々に別の言語の文学も入れてきました。
しかし、まだそこまで頻繁には受賞させているわけではなく、ある間隔をもって回ってくるといった状態です。
何より、選考委員会にそのような言語の使用者は居らず、間接的に評判を聞いているだけのようです。
(そうでなければ、川端の「ポルノ寸前」の作品があることを知っていなかったらしいのはおかしい)
未だに、韓国語や東南アジア、南アジアの言語はほとんど無視されているかのようです。
日本の文学者たちの間でも、ノーベル賞についての話はほとんど出ることもなく、ただ受賞者発表の頃にマスコミだけが騒いでいるといったところのようです。
まあ、カズオ・イシグロ受賞で、村上春樹受賞は当分無さそうだということだけは分かりました。