冒頭の「まえがき」に著者がこの本を作り上げた方針が書かれています。
明治から現在までに現れては消えていった俗語を辞典風に解説したというものですが、そういった「死語辞典類」は従来も何冊も出版されてきました。
しかし、著者はこれまでの40年間にわたって、俗語の収集と研究を続けてきたという自負から、そのような類書とは異なり、「完全に”俗語”に絞った」という点と、「辞典に徹し、俗語の使用時期、誰が使っていたか、実際の用例、現状など」を詳述したということです。
そのため、非常に詳しく「消えていった俗語」について知ることができますが、だからどうしたというと、それほど参考になるわけではありません。
明治時代の俗語というのは、ほとんど使用例も聞いたことのないようなものがほとんどです。
昭和初期からのものは、すでに消えたものはその使われた実例を聞いたこともありませんが、実は私の父親が昭和初期に東京で勤め人をしていた関係か、結構家庭内で聞いた覚えがあるものが多いようです。
戦後から現代のものは、まだ生々しく耳に残っているものもありました。
それでは、そのいくつかを紹介しておきます。
テクシー てくてく歩くこと。徒歩。
これはもちろん、「タクシー」というものが出現した頃に、それをもじって「てくてく歩くこと」を「テクシー」と表現したものです。
東京にタクシーが出現したのが1912年ということですが、「テクシー」という言葉もその後すぐに現れます。
大正時代から昭和初期にかけて、文芸作品にも現れることもあったようです。
これも、我が家では今はなき父親が使っていましたので、知っていました。
あんぽんたん 間が抜けていて愚かなさま。
これは、完全に消えたとも言い切れないのですが、まあほとんど使う人は居ないようです。
出現したのは江戸時代、反魂丹という薬の名前をもじったという説と、他にも語源の説がいくつかあるようです。
相手の間が抜けていることをからかうのですが、ユーモアがあるために言われてもそれほど腹も立たないという、優しさのある言葉です。
江川る ゴリ押しする。人を犠牲にして平気でいる。
これは、語源となった事件から言葉が出来上がった経緯まで明白な例です。
1979年のプロ野球ドラフト会議で、「空白の一日」に巨人と契約という奇策を使い、ドラフト本番では阪神に指名されたものの混乱は収まらず、結局当時の金子コミッショナーの裁定で一旦阪神に入団した形を取り、巨人の小林繁投手とトレードするということで、思い通りに巨人入団を果たしたというものです。
社会からの批判を集めましたが、固有名詞に「る」をつけて動詞化するという俗語製法にしたがい、「江川る」という言葉が流行しました。
この事件に関連しては、他にも「小津る」「金子る」「コバる」といった言葉も生まれてはすぐ消えました。
テンプラ メッキしたもの、偽物。特に偽学生。
江戸時代末期には、小さなエビなどに衣をたっぷりつけて揚げることから、メッキしたものをテンプラと呼ぶ用法が出現していました。
明治時代にはメッキした金時計などをテンプラ時計と呼ぶようになります。
さらに昭和になると学生でないのにその学校の制服制帽を着用し、教室にまで入り込んで授業を聞いているような偽学生が出現し、それらを「テンプラ学生」さらに「テンプラ」だけでも学生を示すようになります。
大学生が学生服などを着なくなって以降は、そういった偽学生も消え、言葉も消えました。
俗語は、仲間内だけで通用する隠語といったものも多く、このような言葉は世間に広まるようになるともう使われなくなるようです。
現在では、女学生などがそういった言葉の発信元になっているのかもしれません。