爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「河童よ、きみは誰なのだ」大野芳著

著者の大野さんは1975年に河童を愛好する団体「かっぱ村」を立ち上げ、河童を見たという話を全国に尋ねて回るということをしている方です。

 

本書も前半は全国各地に河童の目撃談を集めた情景を書かれているのですが、途中からは河童の歴史に踏み込み、さまざまな河童伝説の成因を推論するという方向に行ってしまいます。

 

ちなみに、この本が書かれたのはかっぱ村成立より25年経った頃のことですが、その時までは実際に河童を目撃はできなかったようです。

それから18年経ちますが、やはり今でもその姿は捉えられていないのでしょう。

 

河童を見たという人が多い地方はあるようです。

岩手県遠野市周辺や九州各地には現在でも実際に見たと言い張る人がいます。

しかし、それを確かめようと出かけた人には姿を見せてくれません。

 

今の日本人が河童と聞いて思い浮かべるような、10歳の子供くらいの背丈で頭に皿、背中に甲羅等々といった図は、実は1712年に寺島良安が著した「和漢三才図会」が最初のようです。

それ以前には河童といってもその姿は別のものだったとか。

もちろん、古代から河童のような存在というものは伝説に残っていますが、それは実は被征服民や賎民などであったかもしれないようです。

彼らを差別する意識が河童につながっていたのかもしれません。

 

江戸時代の江戸にも河童伝説が存在するところがあるのですが、これも地方から集まった人々が川筋に住んでいたのを河童と見なしたと考えれば納得できます。

また、河原で営業していた売春婦を河童と呼ぶこともあったとか。

 

九州には河童の手と称するものが保存されているところが何箇所もあるようですが、どうもその手は猿のもののようです。

猿と河童とは違うもののようでかなり似通った存在だったということです。

西遊記での孫悟空沙悟浄はまさにそれを表しています。

 

河童をロマンと捉えるか、被差別者を反映した歴史と見るか、いろいろありそうなところです。

 

 

「この世界を変える方法」内海聡著

「日本は100%奴隷国家だ」という文句にひかれて読んでみましたが、本書のあちこちに溢れる毒気にあてられっぱなしになりました。

 

陰謀論と科学的根拠無視の言いたい放題ですが、中にはうなずける部分も散見されるもので、すぐに放り出すということもなく読み終えてしまいました。

 

著者は自ら「キチ◯イ医者」と名乗り、ブログやあちこちで問題発言を繰り返している人のようです。

著書も数々出版しているようですが、まああまり読んでみようとは思えません。

 

政財界の首脳のほとんどが外国ルーツであり、日本のための施策をしていないとか、あらゆる医学は不要であり病気にならない生き方をすれば良いとかいったトンデモ論はさておき、中でいくつか同意できる点だけを紹介しておきます。

 

中央銀行制度はほとんどの国が採用していますが、これが金融資本の世界制覇の手段となっています。

中央銀行がない国は現在ではイラン、スーダンキューバリビアハンガリーアイスランドの6カ国ですが、かつてはそうであったイラクアフガニスタン、シリアは滅ぼされ、北朝鮮も風前の灯火になっています。

 

経済を支えているマネーシステムというものは壮大な幻想に過ぎない。

国賊の筆頭である竹中平蔵を中心に大企業の奴隷化にする政策が進められ、小泉・安倍が画策したものだ。

日本の政治家や官僚たちは日米合同委員会を通してアメリカに完全支配されている。

安倍だけが国賊ではない。麻生太郎をはじめ国賊政治家はあまた存在する。

 

この辺は深く同意します。

 

アメリカの基地はすべて撤去。アメリカとの集団自衛権なども廃棄。ただし自衛はすべて自国で行う。

 

毒気に惑わされ読まないというのも少しもったいないかもという本でした。

 

99%の人に伝えたいこの世界を変える方法

99%の人に伝えたいこの世界を変える方法

 

 

環境大臣が無能ぶりをさらけ出し石炭火力発電にイチャモン

環境大臣中国電力の石炭火力発電所増設に対して、二酸化炭素削減に反するとしてイチャモンを付けたそうです。

http://www.eic.or.jp/news/?act=view&serial=40166

まあどうせ何もわからん大臣でしょうから官僚の言うがままでしょうが、それにしてもどうやって電力を賄っていくつもりなんでしょう。

 

化石エネルギー資源の中では、石油天然ガスは資源縮減が迫っており、その対策を考えなければならないのですが、石炭はそれに比べればまだ余裕があります。

アメリカのシェールガスなどに目を奪われて、ガス資源は十分だと勘違いをして石炭を見放すなどは愚かな行動です。

 

ましてや、「自然エネルギー開発」に望みを託し火力発電を制限しようなどと言うのは全くの夢物語です。

太陽光発電エネルギーだけで太陽光発電機器を製造する工場」があり得ない(現在は全く無理、将来もほとんど不可能)ということを考えるだけでもそれが幻想であることは分かると思いますが。

 

原発はやがて廃止、「自然エネルギー」にも期待ができないとなれば、石炭火力発電に頼りながら徐々にエネルギー使用量を削減できる社会に移行していかなければ、現在のエネルギー依存文明からのソフトランディングは不可能ですが、このまま行けば石油が価格高騰しただけで文明の危機に直面することになるでしょう。

 

まあ、環境省などというものは、環境汚染対策だけをやっていればよかったものを、無理やり「省」などにしてしまったものだから仕事を探し、利権を探すのに一所懸命なのでしょう。

せいぜい「環境局」程度にしておけばよかったものを。

「”ひとこと言いたい私”にさようなら!」クリステル・プチコラン著

コミュニケーションを重視するということは大切なことですが、単に会話をしていれば良いということではありません。

会話をしていても、ともすれば相手の語っている途中を遮って自分の言いたいことばかりを話してしまうことが多いようです。

それではコミュニケーションどころか、相手のイライラを募らせるだけかもしれません。

こういったことは「聴き方の技術」を身につけることで改善されるようです。

それを、フランスのコミュニケーションコンサルタントのプチコランさんが伝授してくれます。

 

親が自分の子供に話す時も、ほとんど子供の言い分を聞こうとはしないことがあります。

親は、コミュニケーションを教えるつもりでも実は「非コミュニケーション」を教育してしまっています。

 

これは、「人間は皆、自分中心に生きている」「誰の世界観も主観にすぎない」ということから来ます。

これは当然のことなのですが、それを意識しているかどうかが大きな差になります。

これを知らないままだと、話し相手が何を言っても自分中心でしか考えられません。しかし、「相手も自分中心に生きている」ということを意識していれば、それを聞くということができるようになります。

 

著者はフランスで「聴き方セミナー」というものをやっているそうです。

そこでは、相手に気持ちよく話してもらって信頼関係を作るということを教えています。

例えば、何も口を挟まずに相手の言うことをただ聞く。

そして相手の言っていることを要約して、返答する。

そういったやり方で相手に十分に話してもらうということができるのですが、それはなかなか簡単にできるものではありません。

「要約」するつもりが、自分の価値観でまとめるだけということもあります。

 

間違っているところを直してしまうこともありますが、これをしてしまうともう相手は自由に話し続けることができません。

 

こういった聴き方を身につければ、コミュニケーションを十分に取れるようになるそうです。

ただし、それはそう簡単なことではなく「この本を常に身近に置いて読み直してください」ということです。

 

「ひとこと言いたい私」にさようなら!―人間関係が劇的に変わる「聴き方」の技術

「ひとこと言いたい私」にさようなら!―人間関係が劇的に変わる「聴き方」の技術

 

 

またも高齢者の引き起こした事故 年寄りには運転させなければ良いのか

群馬県前橋市で85歳の男性の運転する車が暴走し、自転車通学の高校生2人がはねられて今も意識不明の重態ということです。

www.sankei.com被害者の方々はまことにお気の毒で、回復をお祈りします。

また、加害者の親族も止めようとしながらできなかったということで、いくら後悔しても足らないほどの心境でしょう。また前橋のような地方社会ではそこに住み続けることもできないでしょう。

事故現場はちょうど私の子供が生まれたすぐ後に数年間住んでいたところの近くで、懐かしい場所でこのような事故が起きたということが残念です。

 

しかし、予想通りにマスコミの報道は高齢者ドライバーの危険性強調という方向に向いてきました。

危険は高齢者ドライバーの誰でも分かっていることです。

それでも運転しなければ社会生活ができないという、この車社会の現状には誰も言及しようとはしません。

1年ちょっと前にも同様の事故があり、そのときにもブログで書いていました。

sohujojo.hatenablog.com

酒酔い運転、過労運転、てんかん患者運転と、事故が起きるたびにそういった運転者の問題点指摘が繰り返されています。

高齢者運転も同様の非難がなされ、まるである程度の年齢に達したらすべて免許返納し運転はするなと言っているようです。

 

酒酔い運転については絶対的な否定も当然ですが、その他の状況は誰もが陥る可能性があることばかりです。

 

そろそろ、「何が本当の問題点なのか」をはっきりとさせるべきではないでしょうか。

「ちょっとした狂いで何人もの人を殺せるような自動車自体が問題」なのです。

そのような「自動車に過度に寄りかかった現代社会」が問題なのです。

 

私が幼いころの50年以上前の日本のほとんどはこうではありませんでした。それでも誰もが普通に暮らしていました。

それを、誰もが車を運転するということを必須として成り立つ自動車社会に変えてしまいました。

その社会では車を運転できない人々は二流市民以下の存在です。

特に、病気を抱える人や高齢者はそれを怖れます。できるだけ運転をしたいと願います。誰がそれを批判できるのでしょうか。

車など無くても困らないのは、交通至便なごく一部の都会だけです。

 

「差別語不快語」小林健治著

にんげん出版という出版社の発行したこの本は「管理職検定」というシリーズらしいので、企業の管理職クラスが差別語などを不用意に使ってトラブルを起こさないようにと言う狙いで書かれたものかもしれません。

 

口は災いの元と言いますが、相変わらずテレビ放送の途中に「不適切な発言がありました」などというお詫びのテロップが入ることがあります。

しかし、本書によればそのお詫びもきちんとした形式によらずに単に入れただけでは、何が「不適切」なのかも分からず混乱させるばかりです。

これこれの表現は差別表現であるがこの作品発表当時の社会はこうであった。などとするべきなのですが、そうでない場合も往々にしてありそうです。

 

人と人とが違うという、「差異」というものは必ず存在します。

しかし、その差異を差別の理由付けにしてそれを表す言葉を「差別語」とするのはそれを使う人の意識の中に差別感があるためです。

また、差別というものは国家のイデオロギーや社会制度によっても作り出されることがあります。

それらが変わったことにも気づかない人々は差別語も相変わらず使い続けることになります。

 

差別語は単に言い換えれば済むのかというのも問題になります。

これも言い換えマニュアルのようなものを作って機械的に置き換えるだけということも行われており、それに対する批判もありますが、それでも言い換えることは必要なことです。

ただし、言い換えた言葉に再び差別感を盛り込んでしまうこともよくあるようで、そこには差別する意識が変わらないという理由があります。

 

また、差別語であることが明らかな言葉でも使用しなければならない場合があり、それは差別表現にはならないということになります。

例えば、江戸時代を描いた書籍の広告で「穢多頭浅草弾左衛門と、非人頭車善七との争いを描いた物語」というコピーを有力新聞社が掲載拒否したということがありました。

確かに、穢多や非人は差別語ですが、これを書かなければこの広告は成り立ちません。

被差別民を扱った物語の存在も許さないというのは、差別を無くすことにはつながらず、あまりにも形式的に過ぎることでした。

 

本書実践編には、差別の種類として、障害者、病気、女性、ゲイ・レスビアン等、被差別部落、職業等に分け実例とともに記されています。

また、具体的な対応策というものも示されており、特に企業の総務部といった対外折衝部門では必要な知識かもしれません。

 

なお、差別される側にも別の差別意識が抜きがたいという、興味深い実例もありました。

50年以上前のテレビ番組で、部落、職業差別を表した表現をしたとして部落解放同盟が非難声明を出したのですが、その中で「このような差別劇を多数の国民の前にさらしたという、恐るべき白痴的状況を我々は糾弾せずにおられない」と書かれており、差別に一番敏感であるはずの部落解放同盟でも「白痴」という差別語と無縁ではないということでした。

 

細かく本書を見ていくと、私自身も決して差別と無縁ではなく、使ってしまいそうな言葉がいくつもありました。

気をつけなければいけないことなのでしょう。

 

最新 差別語・不快語

最新 差別語・不快語

 

 

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1206 新経済シルクロード

久しぶりに賀茂川耕助さんのブログからの紹介です。

kamogawakosuke.info実際、あまり日本ではメディアが紹介しませんが、「一帯一路」という構想で中国が進出しようとしています。

上海協力機構(SCO)というものも立ち上げて体制を整えています。

 

インドやパキスタンから中央アジアを取り込んだルートはそれでも想像できましたが、賀茂川さんの記事によれば中国がロシアの協力を得て進める「北極圏ルート」というものもあるようです。

これが動き出せばスエズ運河を回らなくても中国からヨーロッパに交易ルートが確立します。

 

アメリカが世界の覇権を手放そうとしている今、中国は着実にその座を手中にしようとしているように見えますが、アメリカべったりの日本はそれに目を向けようとはせず、アメリカにしがみつこうとしています。

 

さて、どのような決着が待っているのでしょうか。