このところ、毎日のように高齢者ドライバーによる事故の報道が続いております。
自発的に免許返納に踏み切る方々も多いようですし、なんとかしなければという機運も高まってきているようです。
しかし、高齢者に限らず事故を起こしているドライバーが多数にのぼることは当然のことであり、おそらく日本全国では一日あたり1000件以上の事故が発生しており、人身死亡事故も一日あたり数十件が起きています。
そのすべてが高齢者ドライバーによるもののはずもなく、報道されるものもそのごく一部であることはもちろんです。
それを「また昨日も、今日も高齢者ドライバー事故」と毎日のようにニュース報道する意図がどこにあるか。
この状況を見ると一昔前の三菱自動車発火事故報道を思い出します。
ちょうど同社によるリコール隠し事件が発覚した頃だったでしょうか、三菱叩きをしていればよいかのような風潮の中で、「今日も三菱自動車の車が発火、昨日も、一昨日も」といった報道が次々と出されていました。
その中で、ある識者が指摘した「車が自然に発火したなんていう事故は一日に何件も起きている。そのうちの三菱自動車のものだけを報道すればこうなる」という言葉が耳に残っています。
当時の三菱自動車の企業姿勢はとても良いとは言えないものでしたが、それとこのような報道とは無関係です。糾弾すべきはリコール隠しのような経営体質であり、その自動車が発火事故を起こすかどうかは派生した二次的な問題に過ぎません。
今回の高齢者ドライバー事故多発報道というものはどこにその意図があるのでしょう。
現代社会が行き過ぎた車社会であることは間違いありません。
ただ道を歩いているだけで生命を奪われるような社会というものが、正常ではないと思いますが、多くの人々は車のもたらす利益ばかりに目を向けてそのような弊害はできるだけ見ないようにしているかのようです。
そんな中で、車社会の持つ危険性にはできるだけ触れずに、事故要因の極端なものだけを槍玉に挙げて追求しようとしています。
酒酔い運転、てんかん患者の運転、過労運転、猛スピード運転などで悲惨な交通事故が起き、多くの人命が失われるとそれらの要因に対する攻撃がマスコミを総動員して実施されます。
確かにそれらの行為には許されるはずもない犯罪的な原因が含まれていることもあり、決して容認できるものではないのですが、その報道攻撃には少し違和感も感じます。
そこでは、酒を飲んでの運転、てんかん病を隠しての運転、数十時間も続けての運転など、一方の原因の方への執拗な報道攻撃はされますが、「車の存在」自体には何も触れようとしません。
「車の存在」「自動車へ依存し過ぎの社会」が一番問題なのでは。
さて、ここで今回は「高齢者の事故」が問題化してきました。
ここには、これまでのような明らかな犯罪行為などは存在しません。
誰もが年を取って高齢者になりますし、運動能力はどんとんと落ち、判断能力も低下していきます。
いくらアンチエイジングサブリなどを飲んでもこれは避けることができません。
これをどうするのでしょうか。
年寄りには免許返納させて無料のバス券、タクシー券を渡す? そんなことをしたらいくらかかるか分かりません。
車に依存し過ぎの今の社会がおかしいのです。これを基礎から考え直さない限り交通事故はなくならないことを本当の意味で理解しなければなりません。