爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

なんとも嘆かわしい事件 カヌー選手がライバルを陥れるために薬物混入

オリンピック候補クラスのカヌーの選手が、ライバルを蹴落とそうとして飲み物に禁止薬物を混入し摂取させたという事件が明らかになりました。

www.nikkansports.comなんとも嘆かわしい話なのですが、関係者や報道関係が「驚いた」とか「日本では聞いたことが無い」と言っているのはちょっと認識が甘すぎるのではないかと感じます。

 

アンチ・ドーピングという問題は非常に厳しく対処されており、ロシアが国として出場停止とされるなどの事態となっていますが、逆に何らかの方法でライバルに食べさせれば出場停止に追い込むということも十分にあり得る話です。

 

テレビの報道番組で、ハンマー投げ室伏広治さんにインタビューしていたのですが、その話が印象的でした。

「自分が現役の頃は、自分の飲食物からは目を離さず、もしも離れる場合は信頼の置ける人に見張ってもらっていた。日本選手は危機感が薄い」ということです。

 

陸上競技の投擲種目では、ドーピング違反が頻発しており室伏さんも上位選手の失格で繰り上げということも経験しているわけですが、このような危険性も十分に予測していたということでしょう。

 

なんとも、嫌な話ですが、それでも守るべきものは守らなければなりません。

これまでも、意外な選手がドーピング違反ということで出場停止という裁定が下り、選手側が絶対にやっていないと提訴などということも起きていますが、こういった事件も実は他人の工作という可能性もあったのかもしれません。

 

せっかく出場資格を得ても棒に振るようなことがないように、十分に対策をしてほしいものです。

「娘に”リケジョになりたい!”と言われたら」秋田直美著

「リケジョ」つまり理系女子という、最近注目されている人たちについて、「理系女子アドバイザー」という秋田さんが様々な点について書いています。

 

実は、私も理系そのものでして、最近こそ歴史物や政治経済本などの読書が多いためにあまりそういった雰囲気は無いかもしれませんが、大学農学部を卒業、その後メーカーに就職して会社の研究所にも勤務という経歴ですので、この本に書かれていることは非常に身近に感じられることばかりです。

なお、私の子供二人もやはり工学部に進みメーカーに就職、特に下の娘はまさに「リケジョ」でした。

 

本書に引かれている理系女子の意識調査によれば、「なぜ理系を目指したか」という質問に対しては「親兄弟の影響」というものが最も多かったそうです。

また、著者の秋田さんの経験でも大学などで出会ったリケジョさんたちの「親や兄弟が理系」ということが極めて多いということがあります。

これは「実際にリケジョで生きていけるかどうか」ということが、理系の人以外にはよく分からないということが反映しているのでしょう。

 

それを少しでも知ってもらいたくて、この本を書かれたということですので、もしも文系の親御さんで子供さんが「理系に行きたい」と言ってもこの本を読めば安心できるかも?しれません。

 

なお、本書前半の理系の学校、就職といったところの解説は、別にリケジョだけに限った話ではなく「リケダン」(理系男子)でも十分に通用する知識ですので、読む価値はあるかも。

後半部、結婚や出産、育児というところはさすがに女性特有の問題かと思います。

 

「理系」といっても、大学の学部で言えば理学系、工学系、農学系、保健系(医学薬学も含む)とありますが、一応この本では理学系で職種も研究という人たちを主としています。

こういった人たちの就ける職業としては、大学などや企業の研究所といったところですが、女性でそういった研究職についている人は日本全国で128000人ほどだそうです。

男女比では大学では25%、企業ではわずかに8%とか。ただし、大学は看護・家政も入りますので、(この2つはほとんど女性)これを除けばやはり相当女性研究者の割合は低いもののようです。

国の施策としても、女性研究者の増加というものを目指しているのですが、色々な制約や問題点があり、なかなか進んでいないようです。

 

リケジョの方々は、それも研究職を目指すとなるとどうしても大学院進学が必要となります。

企業就職のコースを選ぶと、たいていは修士終了で就職しますが、それでも大卒プラス二年かかりますので、年齢が高くなります。

また、こういった研究所を持つ企業は都会の真ん中にはあまりなく、郊外か地方に立地していることが多いのですが、そういったところでは高学歴の男性というものも少なく、交際相手や結婚相手を探すというのは難しくなります。

男性もせいぜい大卒ですので、彼らが「修士の女性」を見るとどうしても交際相手としては考えられないとか。

したがって、こういったリケジョの人たちの結婚相手はだいたい学生時代からの交際か、研究所で知り合った人しかいないようです。

ほとんどの場合は学生時代からの交際を続けているのですが、もしもその彼と別れることになったら、合コンや婚活イベントはほとんど無理だとか。

 

このあたり、やはり非常に切実な問題でしょう。

うちの娘もやはり学生時代からの相手と結婚しました。そうでもないと難しいかも。

 

理系の典型的な性格というものも書いてあります。

・自分のペースを乱されたくない(マイペース型)

・何事もできるだけ効率的に進めたい(合理性追求型)

・こだわりが強く自分の意見を述べたい(自論展開型)

・常に科学的根拠があるかどうかを最重視する(根拠重視型)

自分もまさにこの性格であるということを実感しました。

 

リケジョに尋ねたアンケートものっていました。

 理系を選択して良かったことは

 ・好きな仕事につけた

 ・就職活動が楽だった

  等々なんですが、・女子トイレがいつでも空いている

  というのが、実感がこもっていると思いました。

 逆に、理系男子では「トイレがいつも混雑している」でしょう。

 

ちなみに、理系を選択して失敗したことは

 ・サークルの勧誘をまったく受けなかった(モテなかった)

 ・理屈っぽさに磨きがかかった

 ・一人でも生きていける自信がついてしまった

 だそうです。

 

著者の秋田さんは残念ながら結婚相手の方の転勤があり会社を辞めざるをえなかったそうです。しかしその地で英語ボランティアや家庭教師をするなど、独自の活躍ができるのも理系の強みとか。

それもあるでしょうね。特に家庭教師それも女子中高生相手は狙い目かと思います。

 

娘に「リケジョになりたい! 」と言われたら (BOOKS)

娘に「リケジョになりたい! 」と言われたら (BOOKS)

 

 私の大学時代の同級生などにもバリバリの研究者が居ますが、今よりはるかに厳しかった時代にそれを乗り越えて突き進んで来られたのですから、大変な苦労だったのでしょう。

とにかく、他の色々な分野でもそうでしょうが、女性が実力を発揮できる社会になることが必要でしょう。

「蒸気機関車」石井幸孝著

これはかなり古い本で、昭和46年発行の中公新書です。

昭和46年(1971年)といえば、まさに蒸気機関車が日本の鉄道での活躍を終えようとしていた時期であり、私も高校生の頃でその最後の姿を写真に収めようとあちこちに出かけていた頃でした。

 

著者の石井さんは国鉄に勤務、車両設計等の担当をされて、本書執筆当時は苗穂工場次長という方で、鉄道車両に関しては一番の専門家と言えるでしょう。

 

その著者が、日本の鉄道の最初からの蒸気機関車の数々を、非常に美しい線画とともに解説されているもので、その図版を見るだけでも満足です。

 

日本に鉄道というものが紹介されたのは、幕末の頃に相次いでやってきた欧米の使節によってでした。

彼らは手土産として車両の模型を持ってきました。模型といっても実物の4分の1程度の大きさで、実際に石炭を炊いて走らせるものでした。

ペリーやプチャーチンの持参した蒸気機関車は当時の日本人に大きな反響を呼び、それを真似て各地の大名が模型を作るということも行われたようです。

 

そのような社会の雰囲気の中、実際の鉄道を早く設置したいという思いは強く、明治維新後すぐに鉄道建設を始め、明治5年5月に品川横浜間で仮開業、9月に新橋まで延長されたのでした。

直後には大阪神戸間でも鉄道敷設が進み開業します。

この東西の鉄道で使われた機関車はすべてイギリス製、鉄道運営や機関車の運転もすべてイギリス人を雇ってのことでした。

その給与も高額であったため、すぐに日本人の技術者、運転士等の養成ということも始まりました。

 

なお、開業後すぐに蒸気機関車からの火の粉で沿線火災が発生しています。

明治6年1月27日、おりからの強風で機関車の煙突から出た火の粉が沿線のワラ屋根の住居に落ちて発火、民家3軒を焼く火災となったそうです。

被害者は東京府や鉄道寮に陳情したのですが、お雇い外国人は「雷火天火の類に等しく賠償金支払いに及ばず」と言ったとか、それでもそのままにはできずに1軒あたり300円ほどの賠償金を支払ったとか。

 

その後、大正初年までは機関車もすべて外国から輸入が続きますが、国産の機関車を作ろうということで技術を磨き、ようやく8620型と9600型の国産化が始まりました。

欧米の鉄道と異なり、レールの幅が狭い狭軌というハンデがありながら巧みな設計で高性能を上げるという、日本の機関車が生まれたわけです。

とはいえ、9600型の頃にはまだ台枠用の圧延鋼板はドイツなどと比べて分厚いものができず、薄板を張り合わせるしかなかったそうです。

 

その後、戦争の時代、戦後の時代を支えたD51、貨物輸送優先の時代から旅客輸送へと変換したことに伴う、貨物用機関車からのC62、C61への改造などもありましたが、幻の機関車C63型の図版を持って本書の蒸気機関車の歴史も終わるわけです。

 

巻末には各地の蒸気機関車展示の様子も収められていますが、その後の復活運転は著者の石井さんも予想外のことかもしれません。

いまだに数多くの蒸気機関車が運転されているのは嬉しいことです。運転士の技術維持、整備技術の継承等、難しいことが多いでしょうが続けてほしいものです。

 

蒸気機関車 (1971年) (中公新書)

蒸気機関車 (1971年) (中公新書)

 

 

「内田樹の研究室」より、”英語の未来”

内田樹さんが書かれている「研究室」というブログにはなかなか興味深い内容が多いので以前の記事も読み返していますが、昨年8月の「英語の未来」というものも相当に面白いものでした。

英語の未来 (内田樹の研究室)

 

昨年の中央公論に、この内容の記事があり、そこでは私も最近読んだ「日本語が亡びるとき」という本を書いた水村美苗さんがインタビューで重大な指摘をされていたそうです。

 

それによれば、世界の各地で英語が流暢かどうかで階層化が強まっているということ、そして、日本はごく少数のものを除けば日本語が十分に話せれば良いのではないかということです。

 

内田さんは第一点には全面同意で、バーナード・ショーピグマリオンマイ・フェア・レディの原作)でも英国の内部の話ではあるものの、同様の事態を描写していることを紹介しています。

それと同じことが世界各地で現実化しており、英語が流暢に操れるもの(それは大抵は上層階級です)が訛の強い一般人などを差別するという構造ができているそうです。

 

第二点は、内田さんは同意したいがまだ状況が不明であるということです。

それは、「自動翻訳」の進展によります。

現在の機械翻訳は「第三世代」ということですが、すでにTOEICで600点くらいには達しているとか。2020年には700-800点になりそうです。

そのアプリをスマホに入れておけば、もはや自分で英語を覚える必要は無くなります。

もちろん、「翻訳者、通訳、外交官」は英語に通じる必要がありますが、そのような人は人口の1%も居るでしょうか。

 

もしもこれが予想通りに進展すれば、現在の「小学校から英語教育」などという、大量の資金と手間をかけて進められている施策など10年も経たないうちに陳腐化してしまいます。

 

安心した。もう英語を無理して勉強しなくてい良いんだ。

大相撲騒動その後 張り手やカチアゲっていけないことなの。

貴乃花の理事解任という件が正式決定、その会見の席で「被害者親方と加害者親方の処分が一緒だが」と尋ねた記者が居たそうですが、尋ねられた方も驚いたでしょう。

貴乃花が理事解任となったのは、「被害者の親方」であったことなど何の関係もないのは当然であり、あくまでも「理事として、巡業部長としての職務放棄」がその理由であり、たまたま日馬富士の親方として伊勢ケ浜が監督責任を問われて理事解任2階級降格となったのと同じであっても何の問題も無いところだからです。

 

それが分からないほどアホな記者だったのか、それともそれを気にする一部のファンが居ることを意識したのかは分かりませんが。

 

さて、それはもはや一件落着となりほとんどニュース価値もなくなったようですが、今度は初場所前の横綱審議委員会による稽古総見で、「白鵬が張り手をした」ことへの批判です。

www.nikkansports.com

日馬富士問題など実は些細な事であり、一番の関心事は「強すぎる横綱の横暴」であることは明らかなことです。

 

上記記事の表題には”禁じ手”とありますが、これが本当の「禁じ手」でないのはもちろんのことであり、たまたま白鵬が使うとその威力が激しすぎるからということに他なりません。

 

江戸時代の伝説の力士雷電はあまりにも強すぎるので張り手などを禁じ手とされたということですが、その再現をしたいのでしょうか。

 

もしも相撲がスポーツであるならば、参加者はすべて公平なルールの下で競技するのは当然のことであり、人によって、地位によって、やって良いことと悪いことが違うなどというのは論外です。

 

それは、もはやスポーツではなく「興行」の世界です。あいつはあまりにも強すぎるから少しハンデを付けてやれ、という博打や賭け事にもつながってくる話になってきます。

プロレスをイメージすればわかりやすいことです。(ファンの人にはごめんなさい)

 

確かに白鵬の張り手やカチアゲは威力がありすぎ、それで朦朧とする相手の状態を見ればちょっと激しすぎるとは感じます。

それならば、張り手自体を「本当の禁じ手」とし、全力士に禁止すべきです。

 

それもできずに、「横綱らしくない」などという分かりにくい口実を持ち出して批判するのは相撲道を持ち出して変な理屈をこねくり回す輩と同程度と見えます。

 

もういい加減に「相撲は興行に過ぎない」ということを認めて、演技たっぷりに盛り上げたらどうですか。地方巡業のように。

八百長も適当に入れて、何よりもひどい怪我をしないように。

 

「志ん朝の落語1 男と女」京須智充編

(編者のお名前の「智」の字は正しくは「ニンベンに皆」という字です)

 

古今亭志ん朝さんといえば古典落語の名手として知られた落語家でしたが、2001年に亡くなられましたのでもう16年も経っています。しかし、あの語り口はいまだに記憶に残っているところです。

 

編者の京須さんはソニーミュージック社で落語の録音をされていたようで、志ん朝さんはそういった記録を嫌っていた中、ただ一人録音を許されて実施したそうです。

この本はその落語の音源から活字化したもので、シリーズ6冊が刊行された中の「男と女」編です。

男女の仲を扱った落語を収録しています。

 

江戸時代の落語では、男女の仲の話というと、どうしても「廓噺」(くるわばなし)という、吉原などの遊郭を取り扱ったものが主となります。

この本でも「明烏」「品川心中」や「お直し」「文違い」といったものが収められています。

 

私の好きなものでは「崇徳院」がありますが、これは上方噺を江戸に移したものだそうです。地名など修正をしてあります。

 

なお、録音から活字化したのはどなたかとは明記してありませんが、江戸の言葉をできるだけ字にしたいということで、カタカナやフリガナなどを駆使してその味を伝えようとしています。

 

毎日(まいんち)毎日(まいんち)家(うち)イ閉じこもって本ばかり読んでんだよ。

(カッコ内は振り仮名)

といった調子で、かつて聞いた覚えのある江戸言葉の落語が耳に蘇るような感覚になります。

「他人」にも「しと」と振り仮名が振ってあり、そういう言葉も聞いたなと感じます。

 

バブル崩壊以降の社会の変化で、こういった落語の世界の人情というものも相当変わってしまったようにも感じます。

もはやその記憶の残るのも我らのような中高年だけでしょうか。

せめて、落語でも楽しみながら今は亡き日々に思いを馳せましょうか。

 

志ん朝の落語〈1〉男と女 (ちくま文庫)

志ん朝の落語〈1〉男と女 (ちくま文庫)

 

 

「海賊の世界史 古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで」桃井治郎著

「海賊」といえば一番イメージしやすいのは「カリブの海賊」といったところかもしれませんが、副題にあるように歴史の最初から最後まで、つまりいつでも海賊というものはあちこちに出没していたようです。

 

文明というものが興ると人や物資の移動が盛んとなりましたが、その大きな手段は海運でした。

そうなれば、その途中で頂いてしまおうという考えが出てくるのも当然かもしれません。

それを放っておいては流通が滞りますので、正統政権側はできるだけ取り締まろうとするのも、何時でも同様でした。しかし、なかなか難しかったようです。

 

本書は、その中でも西洋史として扱われた範囲を主とした記述となっています。倭寇などの東アジア海賊については触れられなかったとまえがきに「お詫び」が書いてありました。

 

紀元前5世紀のギリシアの歴史家ヘロドトスが著した「歴史」にはサモス島の支配者ポリュクラテスについての記述があります。

このポリュクラテスなる人物はまさに「海賊王」と呼ぶにふさわしいものです。

歴史の始祖とも言えるヘロドトスと同じ時期にすでに海賊の始祖も出現していたわけです。

 

古代ローマは宿敵カルタゴと地中海の覇権をめぐって争い、ポエニ戦争に勝利しました。しかし、そこで得られたものはあくまでも「西地中海」だけの覇権であり、東地中海には手がつけられませんでした。

そこには、「キリキア海賊」と呼ばれる連中が跋扈しており、そこを通る商船を略奪するだけでなく、周辺の国々を略奪し放題だったようです。

カエサルも一時その海賊に捕われ、身代金を要求されたそうです。

それらの海賊を一掃できたのはローマがさらに強大になってからのことでした。

 

ローマ帝国が衰亡し、西ローマが滅亡すると、再び地中海は海賊が再興します。

その最初は、ゲルマン民族の移動により地中海にやってきたヴァンダル族でしたが、その後イスラム教の興隆に伴い広がってきたムスリム海賊になります。

ちょうどその頃には北ヨーロッパではヴァイキングの活動が活発となり、各地がその襲来を受けました。

 

14世紀にオスマン・トルコが強大となり、さらにヨーロッパではスペインがレコンキスタに成功してイベリア半島を取り戻すと、その間に挟まれた地中海では両国の争いの隙間で海賊の活動も激しくなります。

海賊の首領を雇ってそれぞれの帝国総督とするなどということも行われたために、北アフリカは海賊国家が乱立する状況となります。

彼らは商船を襲うとともに、南イタリアなどの町を襲い、略奪するとともに住民を拉致し奴隷とするということも頻発します。

 

1571年にレパントの海戦が起き、スペインがオスマン・トルコに勝利しますがそれで地中海が治まったわけではなく、結局は海賊たちの勢力が圧倒することになりました。

レパントの海戦に参加し、その後スペインに帰国しようとしたセルバンテスも海賊に捕まり奴隷とされました。

解放されたのは10年後だったのです。

 

その頃、ジェノバコロンブスはスペインの力を借り大西洋を渡り、アメリカに到達します。

スペイン人たちは大挙新大陸に来襲し、征服してその富をヨーロッパに持ち帰りました。

その富の独占に対し、特にイギリス人などはスペイン船を襲い積荷を強奪するということを始めます。

イギリスは当時スペインと敵対しており、そのような海賊行為も国家のためと見なされて王から賞賛されるというものでした。

有名なフランシス・ドレークやヘンリー・モーガンといった海賊はカリブ海に陣取り、スペイン船を襲い続けました。彼らをバッカニアと呼ぶそうです。

 

18世紀になると、ヨーロッパ諸国と北アフリカの海賊勢力とは一応の和平条約を結ぶこととなります。

しかし、これはヨーロッパが多額の貢納を行うことで、商船通行を見逃してもらうというものでした。

しかし、ちょうどこの頃にアメリカ合衆国が独立しました。アメリカの商船はそれまでのイギリス国旗ではなくアメリカ国旗を掲げるようになったのですが、そうなるとイギリス船は見逃していた地中海海賊がアメリカ船は遠慮なく襲うようになりました。

建国間もないアメリカでは、こういった海賊の対策としてヨーロッパ各国と同様に貢納して見逃してもらうか、海軍を派遣して打ち破るかの論争になりました。

それはついに、トリポリがアメリカ商船カスリーン号を拿捕するという事件に対し、ジェファーソン大統領が艦隊を派遣して開戦するということになります。

かなりの苦戦をしたものの、結局アメリカが勝利し、トリポリ政権は敗北します。

これがアメリカの軍事力を背景にした外交の最初の成功とも言えます。

そして他のヨーロッパ諸国も同様に海賊との交渉を止め、軍事力で排除するようになりました。

 

こうして、各国の軍事力充実により海賊は消え去りましたが、現代になり国家が破綻したソマリアでは再び海賊出現となってしまいました。

隙あれば現れるのが海賊のようです。

しかし、本書冒頭に書かれているように、アレクサンダー大王の前に捕らわれた海賊が引き出され、大王に「なぜお前は海を荒らすのか」と問われると海賊が「私が小さな舟でするので盗賊と呼ばれ、陛下は大艦隊でするので帝王と呼ばれるだけです」と語ったとか。

海賊も国家もやることは変わらないということでしょう。