爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本飛び出しくん図鑑」関将著

「飛び出しくん」とは、狭い通学路など子供が飛び出してくることがありそうなところに、ドライバーに注意を喚起するために設置されているもので、単なる看板様式のものではなく、人形(二次元・三次元)となっているものです。

 

一般的には「飛び出し人形」と呼ぶことが多いようですが、著者の関さんは愛着をもって「飛び出しくん」と呼びたいということです。

 

著者は音楽家で、日本各地に演奏会のために出かけることが多いのですが、地方を自動車で走っている際に、首都圏ではあまり見かけないユニークな人形を見かけ、それ以降出かける度にその「飛び出しくん」を見つけて撮影することが楽しみとなったそうです。

 

発祥の地は滋賀県東近江市だということですが、その定義は「人間の形やそれに近い型で作られ、道路に設置されているもの」だそうです。

人里離れたところには設置する目的もありませんので、これが立っているところには必ず子供がいるということが分かります。

そこに住む大人たちが子供の安全を祈って設置しているということで、街の雰囲気にも優しさが感じられるということです。

 

発祥の地と言われている東近江市にはそこら中に飛び出しくんが見られるそうです。

基本的には小学生くらいの黄色い帽子を被った男の子が描かれているのですが、バリエーションはかなり多く、大人・宇宙人・怪獣・ロボット等々、さまざまなものが描かれているようです。

 

なぜか、関西地方と九州に多く見られ、関東地方では人形型のものは少ない(ただし看板形式のものは多い)ということです。

 

本書は全ページ豊富な写真で飛び出しくんが紹介されているというものでした。

今度見かけたら写真でも撮ってみましょうか。

 

日本飛び出しくん図鑑 (タツミムック)

日本飛び出しくん図鑑 (タツミムック)

 

 

 

「サンドイッチの歴史」ビー・ウィルソン著

よく知られているサンドイッチの起源と言われているものは、サンドイッチ伯爵がギャンブル好きで夜通しカードゲームにのめり込み、食事をする間もないので片手で食べられるようにパン2枚に肉を挟んで持ってこさせたというものです。

 

この通説も含めサンドイッチが現在の隆盛を誇るまでになった歴史をたどっています。

 

常識的に考えれば、パンを食べる国ではそれに肉なりチーズなりを挟んで食べるというのは誰でも考えられるようなものであり、古くから食べられていたはずです。

しかし、「サンドイッチ」という明らかに人名由来の名称であるのも特徴的であり、これが第4代サンドイッチ伯爵ジョー・モンタギューであることも間違いなさそうです。

何百年も前からあった形式の食べ物に伯爵が自分の名前を付けさせた理由が何かあったはずです。

 

実際はジョー・モンタギューは当時は政府の閣僚に就任しており、海軍大臣郵政大臣などを歴任していました。

その執務に忙殺されており、とてもギャンブルなどにうつつを抜かす人ではなかったようです。

したがって、ありうるとすれば「デスクでの仕事をしながらでも食べられる食事を求めた」ということのようです。

1773年には「サンドイッチ」という言葉が、モンタギューを示すのではなくパンに肉を挟んだものに対して使われており、その時期までには料理人の間にこれをサンドイッチと呼ぶという認識が出来上がっていたようです。

おそらく、サンドイッチ伯爵は料理人に対していつものものを持って来いと命令していたのでしょうが、それを見ていた伯爵の友人たちが「サンドイッチと同じもの」と言って注文したのではないかというのが著者の推測です。

 

サンドイッチスタイルの料理を食べたという記録は古代ローマから存在しています。

「オフラ」と呼ばれる軽食が居酒屋で出されていました。ただし、形態としてはサンドイッチというよりは「タバス」に近いものだったようです。

中世にはトレンチャーというものが出現しますが、これは肉などをパンに載せて出されるものの、肉とパンとは一緒には食べないということでやはりサンドイッチとは違うものでした。

イギリスでは中世を過ぎるとパンに具を挟み込むという食べ物の記録が残っています。ブレッド・アンド・ミートとか、ブレッド・アンド・チーズといった名称が出てきますが、これがサンドイッチと同じかどうかという証拠は無いようです。

 

ただし、このような食べ方というものは一般的なものでした。皿の上のパンと肉を一緒にして食べるというのは誰もがやることでした。

サンドイッチ伯爵が新しかったのは、「それを注文した」ことだったのです。それが彼の名前がついた理由にもなったのでしょう。

 

19世紀以降、イギリスの上流社会ではサンドイッチがさらに洗練され、できるだけ薄くスライスした小さなパンに贅沢な具材を挟み込むという様式が確立しました。

一方では、労働者階級では食欲を満たすだけの肉たっぷりのサンドイッチが昼食用に作られていました。非常に大きく分厚いパンにハムや肉を詰めていました。

 

第二次大戦の頃にはイギリス国鉄で旅行者のためにサンドイッチが用意されましたが、そのお粗末さというものは有名だったようで、単に空腹を満たす以上の価値はありませんでした。

さらに衛生面の問題も大きく食中毒や寄生虫感染を引き起こしていました。

また、サンドイッチだけを食べることでの栄養不良も問題視されました。

 

アメリカに渡ったサンドイッチは非常に多様な進化をとげました。

さまざまな種類のものが発生し、多様化していきました。

クラブサンドイッチ、ダイナー、ホーギー、ルーベン、さまざまな店が工夫して出した製品が話題となりその名をつけて広まっていきました。

 

アメリカの世界制覇とともにサンドイッチも世界中に広まっていきます。

アジアの国々でも各国の事情に合わせたものが出現しました。

ロシアやスカンジナビアなど北方ではオープンサンドの伝統がありましたが、徐々に二枚重ねサンドイッチが進出しているようです。

イタリアやフランスなどでも、抵抗はあったもののサンドイッチが広まっていきます。

 

サンドイッチはフォークと食卓と決まった食事時間というものから、人々を解放しました。

それは歓迎されるべきことか、嘆くべきことかはともかく、現代に合った様式なのでしょう。

 

サンドイッチの歴史 (「食」の図書館)

サンドイッチの歴史 (「食」の図書館)

 

 

「日本は戦争をするのか」半田滋著

安倍内閣は支持しない(支持率が不支持率を下回る)けれど、投票は自民党という、とても信じられない投票行動で、自民党圧勝という結果に終わった衆議院選挙ですが、その安倍内閣の目指す安全保障(なにが「安全」やら、「暗然」としていまいます)がどのようなものなのか、中日新聞東京新聞などで安全保障関係を専門にしてこられた、半田さんが2014年に書かれたこの本は今でも十分に参考にできる内容です。

 

各章の章題を見ただけでもため息がでる感じがします。

第1章「不安定要因になった安倍首相」

第2章「法治国家から人治国家へ」

第3章「安保法制懇のトリック」

第4章「積極的平和主義の罠」

第5章「集団的自衛権の危険性」

第6章「逆シビリアンコントロール

 

どこを取っても本書執筆の3年前には分かっていたことですが、それがさらに拡大されてしまいました。今後もさらに大きく、強くなっていくのでしょう。

 

半田さんの意見は一々もっともなことばかりで、逆にどれを紹介しようかと迷うのですが、次のことを挙げておきます。

 

集団的自衛権の必要性?を説明したいのでしょうが、安倍やその周辺がおかしなレトリックで変なことを言い続けています。

しかし、著者が極めて理路整然と説明していることに反論できるでしょうか。

 

日米安全保障条約では、「日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃」への対処を定めています。

この条約を無視して、「海外に展開する米軍」や「米国の施政下の領域」への武力攻撃に対処するということを認めたら、現在の日米安保条約とは矛盾することになります。

この条約では、アメリカが日本を防衛する見返りとして日本はアメリカに日本国内で基地を提供し、のみならず米軍駐留経費も実に6400億円(2013年度)も負担しています。

この負担はそのままに、さらに海外での軍事負担も求められなければならないのでしょうか。

それを進めるのならば、安保条約改定が欠かせないはずです。

 

 

安倍首相は「積極的平和主義」という言葉を再三使っています。

これまでの、海外での紛争から距離を置いてきた政府姿勢を「消極的」とみなして否定しています。

この認識は「アメリカの強力な指導力が失われつつある」というところから由来し「パワーバランスの変化の担い手は中国・インド等である」という多極化です。

つまり「弱体化したアメリカを補い、安全保障面の役割を果たす」というものです。

これは、口では日米同盟強化をうたっているものの、積極的平和主義を突き詰めればアメリカから離れ自主防衛に向かうのではないかと思わせるものです。

 

なお、北朝鮮の危機をことさら取り上げて政治利用する動きが強いのですが、実は北朝鮮との戦争を検討する「K半島事態対処計画」というのも、自衛隊を中心としてこれまでに十分に練られているということです。

それによれば、北朝鮮の軍隊は人数こそ多いけれどその装備や状態は不良であり、航空機や船舶同士の戦闘では米軍や日本自衛隊の敵ではありません。

しかし、テロやゲリラ戦を仕掛けられればその対応は不可能です。

またミサイルもその破壊力自体は小さくても原発や関連施設を攻撃されればその被害は大きくなります。

つまり、北朝鮮と戦争となれば北朝鮮の国や国民はほとんど壊滅させられても、ほんの一部の生き残った部隊がゲリラ戦を仕掛ければ日本も韓国もほぼ壊滅となるということです。

 このような政権を、しかもさらに多数の議席をつけて選んでしまった。どうなるのか期待して見ていきましょう。

 

「宗教聖典を乱読する」釈徹宗著

著者の釈さんは浄土真宗如来寺住職であり、さらに大学教授も勤められ、認知症患者支援のNPOも運営されているという方です。

この本は、関西地方で開かれたカルチャースクールで講演された内容に加筆された宗教全般について広く知識を得ることができるといった内容ですが、そのためか軽い語り口です。

 

その割には内容がかなり詰まっているようにも見えます。

 

仏教僧侶であるとはいっても、他にも世界の多種の宗教についても語っており、ヒンドゥー教神道ユダヤ教キリスト教イスラム教、仏教についてその中心的な経典とその宗教全般を解説しています。

 

宗教について知識を得るためには、さまざまな状況を見ていくということも必要ですが、やはり「聖典」というものを垣間見ることが有効なようです。

解説書や概説を読むとかえって宗教の持つ雰囲気や方向性を見失うことが多いということです。

 

ただし、聖典から数多くの「金言」が取り出され流通していることが多いのですが、それが原典の使い方からずれていることも多々あるようです。

 

例えば、親鸞歎異抄から「たとえ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に落ちたりともさらに後悔すべからず候」という一文を取り出して、オウム真理教が使っていたことがありました。

これも、歎異抄の前後を読まなければ誤解してしまいそうなところです。

 

聖典はそれぞれの原語で、声に出して読むことが大切なのですが、さすがにそれはできないので日本文訳文で示しています。

聖典原文の全部を読むほうが良いのですが、それも無理でしょうからこの本に著者が選んで出した文だけでもじっくりと読んでくださいということです。

 

 

神道は日本固有の宗教ですが、他の宗教とはかなり性質が異なるようです。

また、太平洋戦争までの国家神道の記憶の反発からあまりまともに扱われない状況になっています。

「教祖・教団・教義」を持つものが宗教であるという定義があるようですが、神道には教団はあるものの教祖は不明です。

それよりも、神道は「共同体維持のための構造」を持っているというのが最大の特徴です。

したがって、「儀礼」というものを最重視します。参拝の作法というものも曲げてはいけないものです。

また、亡くなった祖先(祖霊)を祀る「先祖教」であるという特徴をもっています。

神道聖典というと、はっきりと決まったものはありませんが、今でも神社で宣られる「大祓詞」(おおはらえのことば)というものがそれに近いようです。

声に出して読んでみるとその雰囲気も判るかもしれません。

 

キリスト教はいまや世界最大と言える宗教になっています。

ユダヤ教の中からイエスが現れ、そこから誕生したのがキリスト教ですが長い歴史で発展しています。

いくつもの異端との戦いを経て成立したカトリックですが、最後のプロテスタントは生き残り並立してしまいました。

プロテスタントという宗教は著者の見るところ、日本の浄土真宗と似通った性質を持っているそうです。

浄土真宗の僧侶は妻帯していますが、プロテスタントの牧師もそうです。

どちらも専門の聖職者ではなく、出家と在家の境界を崩した存在だそうです。

 

プロテスタントはその性質上原理主義というものが結びつきやすくなっています。

原理主義というのは、最近よく使われるようなイスラムではなくプロテスタントが本家です。「聖書のみを信じる」という原則を強く主張します。

 

仏教は一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教とはかなり違う性質をもっており、一神教徒からは哲学と変わりないではないかという批判も受けやすいものです。

絶対神をもたない多様性を重んじるものですが、絶対神を重んじる一神教と仏教とは神というものの意味がまったく異なることを忘れてはいけません。

絶対神」が多数あるというような認識では間違えます。

 

一神教同士の争いのようなテロ戦争ですが、そこで忘れてはいけないのが第2次大戦後のサンフランシスコ講和会議の際に、スリランカ代表のジャヤワルダナ氏が演説をして大きな感動を与えた言葉でした。

 

ジャヤワルダナは「ダンマバダ」の第5番という仏教経典から「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことのない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である」と朗唱し、日本に対する補償請求を放棄しました。

これにラオスカンボジアなどの仏教国も同調し講和を結ぶことになりました。

 

これには後日談があり、日本が高度成長を遂げた後にジャヤワルダナ氏を招いたことがあり、そこで氏は祝辞を述べたのですが、非公式には「この国はとても豊かになったが、人々の心は貧しくなっているのでは」と懸念を表明したそうです。

こういうことを言ってくれる人が本当の友人であろうと思います。

 

宗教聖典を乱読する

宗教聖典を乱読する

 

 

なんとこの台風騒ぎの中、東京に行ってました。

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台風直撃騒ぎの東京に行ってました。

ちょうど、土曜日に大学の同窓会を久しぶりに開催ということだったので、台風の危険性も顧みず出かけました。

土曜の午後に着いた頃にはだんだんと雨が強まり、昨日は大雨さらに強風。今日も明け方までは雨が残っていました。

帰りの飛行機も朝9時頃までのは欠航でしたが予約していたのが10時過ぎの便だったので無事動いており、先程家まで帰り着きました。

東京も都心の方まで近づいたのは本当に久しぶりでした。

大学の同窓生も中には卒業以来会っていなかった人もいたのですが、その期間を感じさせずに話ができるのは昔の友人ならではでしょう。

なお、会社を辞めてブラブラしているのは私くらいで、皆まだまだ現役バリバリのようでした。

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なお、帰りの飛行機の離陸後に撮った羽田空港と富士山です。

 

「戯作者銘々伝」井上ひさし著

戯作者とは、江戸時代後期に流行した洒落本、人情本などの通俗小説の作者を指します。

為永春水山東京伝十返舎一九といった人々が有名ですが、他にも多くの人々が執筆していたようです。

 

この本は、そういった戯作を書いていた人々の周辺を短編小説としたもので、有名な戯作者ばかりでなく名も知らない人も描かれていますが、おそらく実在の人物ばかりなんでしょう。

また、戯作者本人はすでに亡くなったあとでその家族や知人を主役として描かれたというものもあり、必ずしもそういった戯作者の絶頂期を描くというわけではなく、様々な人間模様、売れなくなって零落した後の話、などなどを書くことによって、江戸時代後半の江戸の町の雰囲気を強く感じさせるものとなっています。

 

有名な戯作者となるとその名前を息子や弟子が襲名するということもあったようです。

十返舎一九はその死後に弟子が次々とその名を襲名したそうですが、その人間模様を一九の未亡人や娘の口を借りて描写するというのが「半返舎一朱」という短編になっていますが、このようにかなりひねった作りの小説ばかりになっています。

 

戯作者の多くは武士の出身で、地方の藩の江戸屋敷勤めという者が多かったようです。

彼らはそのような文筆活動を許さない藩などにより執筆を禁止されるということもあったようで、その様子を描かれている作品もあります。

 

小説のあらすじ掲載は一応控えていますので、この辺にしておきますが、江戸時代の民衆の暮らしが感じられるような小品でした。

 

戯作者銘々伝 (1979年)

戯作者銘々伝 (1979年)

 

 

 

「古道 歴史の道百選」森田敏隆著

平成8年に文化庁によって、「歴史の道百選」の第一次選定が行われ、78箇所が選ばれました。

本書はその78にそれ以外の9箇所を加えた87箇所の古道を写真家の森田さんが撮影した写真で紹介しています。

 

取り上げられている道は、東海道中山道など有名な街道や、山辺の道や熊野参詣道といった古代からの道などもありますが、地方のあまり知られていない古道も含まれています。

広瀬・清水街道や野根山街道と言ってどのにあるのか判るという人は相当な地理マニアでしょう。

 

江戸時代以前の街道は、通行するのは徒歩の旅行者かせいぜい馬による運送者だけであったために、山越えの道などは勾配もあまり配慮していない急なものだったようです。

 

本書の写真は石畳が維持されているところもありますが、多くは荒れ放題になり道とは思えないほど雑草に埋もれたところもあります。

 

なお、各街道の写真はせいぜい1枚で、どういう場所を選ばれたのかよく分かりませんが、山林の中の消えかかってしまいケモノ道と見分けがつかなくなったような場所が続くと、どれがどれやら分からないと言うのはちょっと興ざめです。

 

現在は車などは入れない状態であるというのが選考基準のようで、さすがに行ったことがあるというところはありませんでした。

近くまでは行ったというところまで緩めれば、東海道箱根旧街道薩摩街道豊後街道などはどの辺かということは分かりました。

 

往時は人や荷駄が行き交ったとは思えないようなところですが、それを想像するだけでも楽しいかもしれません。

 

日本の名景―古道 (SUIKOBOOKS 160)

日本の名景―古道 (SUIKOBOOKS 160)