爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「サンドイッチの歴史」ビー・ウィルソン著

よく知られているサンドイッチの起源と言われているものは、サンドイッチ伯爵がギャンブル好きで夜通しカードゲームにのめり込み、食事をする間もないので片手で食べられるようにパン2枚に肉を挟んで持ってこさせたというものです。

 

この通説も含めサンドイッチが現在の隆盛を誇るまでになった歴史をたどっています。

 

常識的に考えれば、パンを食べる国ではそれに肉なりチーズなりを挟んで食べるというのは誰でも考えられるようなものであり、古くから食べられていたはずです。

しかし、「サンドイッチ」という明らかに人名由来の名称であるのも特徴的であり、これが第4代サンドイッチ伯爵ジョー・モンタギューであることも間違いなさそうです。

何百年も前からあった形式の食べ物に伯爵が自分の名前を付けさせた理由が何かあったはずです。

 

実際はジョー・モンタギューは当時は政府の閣僚に就任しており、海軍大臣郵政大臣などを歴任していました。

その執務に忙殺されており、とてもギャンブルなどにうつつを抜かす人ではなかったようです。

したがって、ありうるとすれば「デスクでの仕事をしながらでも食べられる食事を求めた」ということのようです。

1773年には「サンドイッチ」という言葉が、モンタギューを示すのではなくパンに肉を挟んだものに対して使われており、その時期までには料理人の間にこれをサンドイッチと呼ぶという認識が出来上がっていたようです。

おそらく、サンドイッチ伯爵は料理人に対していつものものを持って来いと命令していたのでしょうが、それを見ていた伯爵の友人たちが「サンドイッチと同じもの」と言って注文したのではないかというのが著者の推測です。

 

サンドイッチスタイルの料理を食べたという記録は古代ローマから存在しています。

「オフラ」と呼ばれる軽食が居酒屋で出されていました。ただし、形態としてはサンドイッチというよりは「タバス」に近いものだったようです。

中世にはトレンチャーというものが出現しますが、これは肉などをパンに載せて出されるものの、肉とパンとは一緒には食べないということでやはりサンドイッチとは違うものでした。

イギリスでは中世を過ぎるとパンに具を挟み込むという食べ物の記録が残っています。ブレッド・アンド・ミートとか、ブレッド・アンド・チーズといった名称が出てきますが、これがサンドイッチと同じかどうかという証拠は無いようです。

 

ただし、このような食べ方というものは一般的なものでした。皿の上のパンと肉を一緒にして食べるというのは誰もがやることでした。

サンドイッチ伯爵が新しかったのは、「それを注文した」ことだったのです。それが彼の名前がついた理由にもなったのでしょう。

 

19世紀以降、イギリスの上流社会ではサンドイッチがさらに洗練され、できるだけ薄くスライスした小さなパンに贅沢な具材を挟み込むという様式が確立しました。

一方では、労働者階級では食欲を満たすだけの肉たっぷりのサンドイッチが昼食用に作られていました。非常に大きく分厚いパンにハムや肉を詰めていました。

 

第二次大戦の頃にはイギリス国鉄で旅行者のためにサンドイッチが用意されましたが、そのお粗末さというものは有名だったようで、単に空腹を満たす以上の価値はありませんでした。

さらに衛生面の問題も大きく食中毒や寄生虫感染を引き起こしていました。

また、サンドイッチだけを食べることでの栄養不良も問題視されました。

 

アメリカに渡ったサンドイッチは非常に多様な進化をとげました。

さまざまな種類のものが発生し、多様化していきました。

クラブサンドイッチ、ダイナー、ホーギー、ルーベン、さまざまな店が工夫して出した製品が話題となりその名をつけて広まっていきました。

 

アメリカの世界制覇とともにサンドイッチも世界中に広まっていきます。

アジアの国々でも各国の事情に合わせたものが出現しました。

ロシアやスカンジナビアなど北方ではオープンサンドの伝統がありましたが、徐々に二枚重ねサンドイッチが進出しているようです。

イタリアやフランスなどでも、抵抗はあったもののサンドイッチが広まっていきます。

 

サンドイッチはフォークと食卓と決まった食事時間というものから、人々を解放しました。

それは歓迎されるべきことか、嘆くべきことかはともかく、現代に合った様式なのでしょう。

 

サンドイッチの歴史 (「食」の図書館)

サンドイッチの歴史 (「食」の図書館)