爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『ポスト真実』時代のネットニュースの読み方」松林薫著

今やニュースを見聞きするのはネットからという人が多くなってきました。

しかしネット上の情報というのはどうやら怪しいものが多いということも問題になってきています。

そのような実情について、かつて日経新聞で記者を勤めその後ネットジャーナリズムを調査研究する学術方面に転じた著者が、詳しく解説しています。

 

本書構成は、

第1章 ネットで変わったジャーナリズム

第2章 ネット情報を利用する前に

第3章 ネット情報の利用術

第4章 高度な読み方、活用法

第5章 メディアのこれから

となっています。

各項目の題をみても、「メディアが提供する7つの価値」「活字離れは本当か」「ネットは訂正を前提としたメディア」「メディアを生態系として捉える」「裏を取る」「裏情報の罠」などなど、面白そうに思える内容が満載です。

 

「活字離れ」などと言われていますが、この場合の「活字」というのは以前の「手書き」に対する概念の言葉であることを意識しなければなりません。

ワープロの登場以降、日記やメモといったものでも一見活字で組んだかのような外見にはなりました。

ワープロ以前を知っている年代の人から見ればその違いは分かっていても物心ついた時にはすでにこういう状況になっていた人はそれに必ずしも敏感ではないかもしれません。

上の年代の人はそういった「活字情報」と「手書き情報」の信頼性にはかなり差があるということが意識の中で身についていますが、それが少し不足しているのかもしれません。

 

生態系というものがあり、多くの生物が一つの環境の中で棲み分けをしつつ住んでいるイメージがあります。

メディアについてもそういった捉え方をするべきなのかもしれません。

新聞やテレビなどの在来メディアがネットメディアに取って代わられるといのではなく棲み分けして共存するというイメージです。

新聞と週刊誌というのは対立しているような感覚かもしれませんが、意外に協力し合っている点も多く、裏で取材協力という例もあるようです。

ネットメディアといってもその中には多くの主体が存在します。

まず旧媒体、新聞やテレビ会社の電子版というものです。

またキュレーションメディアという、様々な情報を集めて一つのプラットフォームで見せるサイトやアプリです。

これにはヤフーニュースやエキサイト、スマートニュース、グノシーなどがあります。

この一部には自前の編集部をもってコンテンツを作るところも出ていますが多くは既存メディアや個人のブログなどからの情報をまとめたものです。

さらにネット専業メディアというものがあります。

バズフィード、ハフィントンポストといったものは日本でも定着しつつあります。

さらに個人のブログ、SNSもこのネットメディア生態系の一部です。

このようなものはその性格も大きく異なり、単純に「ネットメディアは・・・」などとひとくくりで扱えるものではありません。

情報の価値、信頼性も大きく異なります。

ただし、それぞれに存在価値もありますので、一概に否定も過小評価もできません。

 

ネットでは一般人が広く議論をできるのではないかといった幻想があったこともありました。

しかし現状ではそのような期待は大きく裏切られ異なる意見の人々が大きな声で叫び合うだけのような状態です。

ネットでは「議論」ができると考えていたのですが、実際には「討論」だけです。

議論というのは顔を見合わせた間柄だけでしかできないのかもしれません。

それは、話し合うことでお互いが変わっていくことなのかもしれません。

そしてそれが民主主義本来の意義です。

数が多い方が多数決で全部決めてしまうというものとは違います。

何が違うのか、それを話し合いながら変わっていくことが必要です。

ところが、現在のネット上の討論では意見を変えることは悪徳であるかのような捉え方をされ、「主張がぶれない」ことが良いことのように言われます。

実は相手の意見の取り入れられるところは取り入れ、妥協できるものにしていくことが必要なのに、それは全く考えられません。

言い換えれば、民主主義とは誰もが「自分が間違っている可能性」について認めることが前提だということです。

 

1960年代に読まれてきたものにマクルーハンの「メディア論」というものがありました。

しかしそれを今読み返すと少し戸惑う点があるようです。

マクルーハンが論じている「テレビ」「新聞」の性格が大きく変わってしまいました。

彼は新聞やテレビが軽薄だと決めています。

それに対比させているのが「本」というメディアでした。

現在ではどうやら当時の「新聞テレビ」が「ネット」、「本」が「新聞」なってしまったようです。

かつては新聞が軽薄でアナーキー、新聞記者(ブンヤ)といった連中はアウトロー扱いでした。

今のネット情報がそのイメージなのでしょうか。

しかし新聞がどんどんとコンプライアンスを強化していき性格を変えてきたように、ネットも今後変わっていく可能性もあります。

 

新聞社のネット情報が最近どんどんと有料化してきています。

新聞がますます本格的にネット対応をし始めたということなのでしょう。

その情報はキュレーションサイトにも無料ではいかなくなります。

情報の確実性は上がりますが、有料は困る人も多いでしょう。

私もそうです。