爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「古代東アジアの女帝」入江曜子著

東アジアでは男尊女卑の傾向が強かったのですが、それでも古代には女帝が出現した時がありました。

特に7世紀には日本、中国、朝鮮で女帝が君臨した時代でした。

それはどういった様相だったのか、日本の推古、持統など、朝鮮(新羅)の善徳、真徳、そして中国の唐では武則天という中国史上唯一ともいえる女帝について詳述しています。

 

日本ではその後も女性の天皇が即位することもありましたが、それらはあくまでも中継ぎやその場しのぎといった意味が強いものでしたが、この時代の女帝たちはそうではなく非常に強い自主性を持ち、まわりを自在に操るほどの存在でした。

中国の武則天も生まれは卑賤であるにも関わらず皇帝の妾から皇后に昇りつめさらに皇帝を思うままに操り最後には自らが王朝を開くまでに至ります。

 

こういった「強い女帝」が時を同じくして東アジアに誕生したのは何か理由があるのか。

そこにも筆は及んでいますが、どうもはっきりとしたことは分からないようです。

 

やはり日本の女帝たちが一番記述は多いようです。

推古、皇極、斉明、間人、倭姫、持統が描かれています。

なお、間人は即位したとはされていませんが、斉明死後中大兄への大王位継承まで7年間空位であったというのはあまりにも不自然であり、大王位に就いたものと判断しています。

また倭姫は明らかに即位はしていないのですが、中大兄に殺された古人大兄の娘でありそれでありながら中大兄の后とされたという運命の持ち主で当時の王家の大きな存在であったということから含まれています。

 

中でも最も存在感の大きかったのが持統天皇だったようです。

天智天皇の娘でありながら天武天皇の皇后となり、草壁皇子を産み、その息子に皇位を継がせようと天武天皇の別の息子の大津皇子を反乱の濡れ衣を着せて殺したのも持統が行ったようです。

しかし肝心の草壁がそれに大きく衝撃を受けて精神を病み死んでしまうとその息子の軽皇子に何とか皇位を継がせようと奮闘するという活躍ぶりでした。

 

当時の日本や朝鮮はまだ女性の立場も高かったようですが、すでに完全な男性社会であった中国で唐王朝をいったん中断してしまった武則天という女性は様々な悪評もありますが、非常に意志と行動力の強い人だったようです。

目的のためには自分の子どもを殺すこともためらわないということもありました。

なお、権力を握った者にはすり寄ってくる人間が無数に現れるという様子も激しいもので、その人間模様も甚だしいものです。

ただし、諫言するものは殺されるといった状況になっても、それを恐れずに言葉をあげる人が続くのも中国と言うところなのでしょう。

 

「女性的な視点」などということを言い出す人がまだ多いようですが、そんなものは最高権力者には関係ないということが分かるようです。