爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「それはあくまで偶然です。 運と迷信の統計学」ジェフリー・S・ローゼンタール著

社会の出来事というものはほとんどランダムなものであり、それでどのように影響を受けるかということは個人の運というものなのですが、人はそこに何らかの意味があると考えがちです。

本書著者のローゼンタールさんは統計学者ですが、一般向けにも発信を続けており、この本もそういった迷信を解除しようとするものです。

かなり多くの事例をあげ、それがなぜ意味あるかのように見えるのかという解説をしていくのですが、それでも多くの人はそれを受け入れることができないようです。

 

「偶然の一致」ということが言われますが、それがあまりにも偶然が重なりすぎてとても何かの力が働いたとしか考えられないようなこともあります。

ハワイのビーチでたまたま知り合った人が良く話を聞いてみると実は異父兄弟だったなどと言うこともあります。

これなどどうしても「運命の力」が働いたとしか見えないもののようです。

 

しかしこういった「運」というものの解釈には多くの場合さまざまな要因が働くようです。

原因が別にある・観察にバイアスがかかっている・異なる意味・特大の的・偽りの報告・隠れた助け・まぐれ当たり・下手な鉄砲も・プラシーボ効果・散弾銃効果・等々です。

それをよく考えてみるとこういった要因がいくつも働いていることがあるようです。

 

クリミア戦争で活躍したフローレンス・ナイチンゲールは看護というものを創始したと言える人ですが、それ以上に優れていたのが統計学の応用という面だったそうです。

戦争中にイギリス軍の兵士の死亡率が高いことを懸念した彼女は兵士の死因について詳細な表を使った報告書をまとめました。

誰もが簡単に理解できるように、データを図表形式で示すという新しい方式も生み出しました。

それにより、兵士の死因の第一位が敵の銃砲撃ではなく軍の病院内の不衛生さによるものであることが誰にでも分かりました。

彼女の勧めでイギリス軍は衛生委員会を設置し衛生状態の改善に進みました。

その功績で1859年に女性としては初めて王立統計学会の会員にえらばれました。

このように統計学というものは素晴らしく、役に立ち、重要ですが、一つの小さな問題があるそうです。誰もが大嫌いなのです。

ほとんどの人は数学が大嫌いなのですが、それに輪をかけて統計学が嫌いです。

 

統計学を駆使して見せるのが選挙の予想などの世論調査です。

しかしそれはしばしば大外れすることがあります。

イギリスのEU離脱の選挙はほとんどの調査会社が残留派が勝つと予想しました。

アメリカの大統領選でも予測を覆す結果が出ることがあります。

このような世論調査では統計学的な理論に基づきサンプルを適切な数だけランダムに選ぶこととなっています。

しかしその「適切」と「ランダム」が大問題なのです。

電話調査をするにも電話を持っていない人もいます。

電話があっても答えるのを断る人もいます。世論調査の電話だと知った途端電話を切る人も数多くいます。

世論調査の全盛期でも答える人が40%以下だったそうです。

現在ではほとんどの世論調査で回答率は10%を切っています。

しかもその「答える人」というのはランダムに決まってはいません。

「答えたい人」という強いバイアスのかかった人だということです。

 

欧米では刑事事件の裁判でも統計的な数字を証拠として使うようです。

1964年にロサンジェルスで起きた強盗事件では、「濃いブロンドをポニーテールに結んだ白人女性が財布を奪い、あごひげと口ひげを生やした黒人男性の運転する黄色い車で逃走した」という目撃証言が得られました。

その条件に合う二人が捕らえられ、その裁判では大学の数学講師を呼びその条件が成立する確率を証言させました。

あごひげを生やした黒人男性は10人に1人、ブロンドの白人女性は3人に一人、等々と言った具合で、全ての条件を掛け合わせると1200万分の1の確率となるので、この二人は目撃証言で見られた犯人だという論拠です。

しかしこういった一見科学的に見える計算もよく考えると怪しいものです。

やはりより確実な証拠が必要だということでしょう。

 

著者のローゼンタール教授は統計学者としても非常に優れているそうですが、他にもミュージシャンやコメディアンとしての顔も持っているようです。

それを十分に活かした面白い文章でした。