爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「不要不急 苦境と向き合う仏教の智慧」横田南嶺他著

新型コロナウイルス流行の時には「不要不急」という言葉が飛び交いました。

「不要不急の外出の自粛」などと言われたものです。

しかし何が要で何が不要か、そういったことは考えだすとよく分からなくなります。

特に宗教活動はほとんど「不要不急」とされてしまいました。

人々が苦しみ、死のうとしている時には宗教が一番の「要・急」ではないか。

 

そこで10人の仏教僧侶たちに不要不急ということについて書いてもらったものをまとめたというのが本書です。

著者たちは年齢も宗派もバラバラ、文章の主旨もかなり異なるものとなっています。

しかし宗教は不要不急と言わんばかりの風潮で、参禅や説法の機会が無くなったということについては皆疑問に思っています。

 

臨済宗の住職の細川晋輔さんは座禅会の開催ができなくなったことに困りました。

何とか開催できないかと感染症専門家に相談し、アクリル板の設置や人数制限などの対策を考えたものの、ほとんど現実的ではないものでした。

そこで気づいたのが、「座禅会はお寺の本堂で行うもの」だということに固執していたのは自分ではないかということ。

禅というものは「固執から離れ、”手放す”もの」であるとしながら、それに自分自身が反してしまったということでした。

禅宗の僧侶自体が禅というものにこだわったのだという反省でした。

 

曹洞宗の南直哉という方の書いていることは真理をついたものでした。

座禅をしているお前など「不要不急」ではないかと言われるのかと思いますが、実は人間というのはみなが「不要不急」の存在なのだということです。

人間はみなさしたる根拠も意味もなく生きているのだという存在だとすれば要不要、急不急の判断などできるはずもありません。

 

今の時代に宗教のできることは何なのか、見つめなおす機会となったのでしょう。