「精進料理考」といっても、寺や専門店で作られているあの料理のレシピを集めた本ではありません。
寺院で僧が食べている料理が精進料理と言って間違いはないのですが、その宗教的な背景、歴史、そして寺院での現実など、精進料理をめぐる広い話題を扱っています。
著者の吉村さんは、永平寺での修行も経験したという、曹洞宗の僧侶ですが、精進料理についての調査研究も行っており、その成果も本書に反映しています。
第一部は「禅の精進料理」と題し、寺院での食事といっても各宗派により違いはあるのでしょうが、おそらく一般にも精進料理として認識されることの多いと思われる禅宗での料理、それも調理を中心に解説されています。
禅宗では、僧侶の食事を作る役割の典座(てんぞ)という僧侶が非常に重要視されます。
曹洞宗開祖の道元禅師が中国に留学した際、年老いた僧侶が料理をするのを見て若い人に代われば良いのにと言うと、その僧侶が禅では調理も重要な修行であると諭したということが有名ですが、その伝統は今でも禅宗の寺院に生きています。
その実際と言うものは僧侶以外にはあまり知られていないでしょうから、本書でも「調理前・調理中・調理後の心構え」という章を設け詳しく説かれています。
「シンクも一つの調理器具ととらえ、調理はシンクを磨くことから始まる」というのは新鮮に聞こえます。
調理中にこぼれた食材もすべて集めて食べるのが心構えなのですが、その際にもシンクがピカピカであれば抵抗がないでしょう。
精進料理では食べてはいけないものがあります。
というと、普通にはまず肉や魚の動物性食材を思い浮かべるでしょう。
しかし、禅寺の山門によく書かれているのは「葷酒を禁ず」といった言葉です。
この葷はもとは「ナマグサもの」を示すのですが、いつからか臭いの強い野菜を示すようになりました。
ニンニクやラッキョウなどですが、これらの野菜はインドで仏教が始まったころから避けられていたようです。
これは、当時からそれらを食べた場合の体臭が気になったためで、それが修行の妨げとなることを防ぐためだったようです。
なお、動物性食材については、インドでの開宗当時はそれほど避けることはなかったようです。
生き物を殺してその肉を食べるということを禁じたのは、大乗仏教が起こってからですが、もともとインドには肉食を避ける宗教が他にもあったため、その影響もありました。
ヒンドゥー教が肉食を避けるようになったのと合わせて仏教でも避けることになったという経過もありました。
また、当時でもやはり「肉食は贅沢」であったので、それも仏教としては避ける要因となったようです。
とにかく、現代で肉食を避ける理由の第一と考えられる「不殺生」は一番最後に現れた概念であったようです。
本書第二部では、インド、中国、日本での精進料理(僧食)についての比較を主にまとめられています。
それぞれ似ているところもあり違うところもあるというもののようです。
インドでは、かつては食事は午前中のみだったそうです。
これには、食中毒を避けるという意味が本来あったようで、インドの僧侶はすべて托鉢で食事を貰う乞食(こつじき)で食料を調達していたのですが、それはすでに調理からある程度時間がたったものであり、それを午後や夜になってから食べたのでは食中毒を起こすからということがあったようです。
なお、もともと僧侶は乞食以外では食を得てはいけない(調理をしてはいけない)というものだったのですが、現在の日本の禅宗では調理をすることが重要視されています。
その違いも大きなものかもしれません。
現在の日本の精進料理で、他の一般社会での魚などを使った料理に似せたメニューがありますが、その原型は中国の元の時代からのようです。
元代の料理書「居家必用事類全集」の素食の項には「仮〇〇」という名の料理が載せられており、それは特に僧侶用の食事というわけではなかったのですが、それを次の時代に隠元禅師が日本にもたらして、現在の精進料理のひとつ「もどき料理」につながったものと考えられます。
精進料理といえば、葬式や法事の時の肉魚がまったく入っていない料理というイメージでしたが、なかなか奥深いもののようです。