爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢の話「ボーリング大会開催」

夢は時空を越えますが、しかしボーリング大会とは。

 

夢の中でも私はコーラスグループの会計係。

ボーリング大会をやろうということになり、やはり会計係が幹事ということになってしまいます。

幹事となれば会場の手配、費用の交渉、そして当日も会費の徴収などいろいろな役目があるはずですが、夢ではそういったことは一切カット。

いきなり大会の実施中に飛びます。

大会は2ゲームを行ってトータルスコアで順位を決め、3位までは賞品を出すことになっています。

 

まずボーリングの球を選ぶのですが、昔は重さも15-6ポンドのものを投げていたのですが、力が弱っていてそんな重たいものは持てず、11ポンドの球にします。

それを投げるのですが、ボーリングはピンも結構重く作ってあるので、軽い球でスピードもなければピンに当たっても思うように倒れません。

1番ピンと3番ピンの間のスイートスポットに入っても跳ね返されるようで裏のピンが倒れません。

スペアを取るにも苦労するような状況で、1ゲーム目はスコアも何とか100を越える程度。

2ゲーム目はそれでも慣れてきて150くらいまで到達です。

参加者の皆さんも結構盛り上がり、長老のH氏やN氏などは大きな声と態度で楽しんでいます。

 

ゲームはそれで終わるのですが、幹事の務めとしては皆のスコアを集計し順位を決めて表彰会をしなければなりません。

スコアはレーンの機械で自動的に算出されるのですが、皆のスコアの集計まではできないので、自分たちでやらなければなりません。

そこで気が付いたのが、パソコンのエクセルで集計表を作ってきて順位まで自動で計算するようにしてきたら簡単だったのですが、今となってはもう遅い。

仕方なく暗算で合計点を出して書き込んでいきます。

しかしなかなか進まず、ゲームの終わった皆からはブーブーと不平が出てくるというところで焦って目が覚めるといういつものパターン。

 

それでは夢の中に隠れている現実は。

ボーリングが大流行していたのはもう50年以上も前の中学生くらいの時でした。

父親がずっぽりとハマりきって毎週のようにマイボール持参でセンター通いをしていました。

テレビでも頻繁に番組が放映され、女子プロの中山律子さんなどが活躍していました。

流行はあっという間に去ったのですが、それでもその後もボーリングをする機会は結構あり、職場や労働組合などでボーリング大会というものも時々開かれていました。

今から思えば飲み会ばかりだと若手の参加が少なくなるので親睦会の効果を上げるという思惑があったのでしょう。

一番最近では15年ほど前に職場のボーリング大会をやった覚えがあります。

それ以降はボーリング自体やることもありません。

市内に一か所だけ残っていたボーリング場もその後つぶれてしまい、今ではやろうとすれば車で30分以上の隣町まで行かなければできません。

最近のボーリング場など想像もできませんが、もしかしたら大会の結果の集計なんていうのも自動でできるのかも。

ボールの重さも確か若い頃は15ポンドくらいは投げていました。

しかし15年前に最後にやった頃でもすでに12ポンドくらいしか持てなかったように思います。

体の衰えがはっきりと出てくるところだったのかもしれません。