およそ現在のこの国とは逆の言葉「人の痛みを感じる国家」というのが題名となっていますが、もちろん中身はそうでない国や社会を鋭く指摘するものです。
この題としてのはやはり柳田さんの意図があるのでしょうか。
本書に収められている文章は、新潮45に2006年に掲載されたものです。
ちょうど12篇ということなので、1年分の連載だったのでしょう。
テーマは様々ですが、ITやネット社会、新潟県中越地震で壊滅的な被害を受けた山古志の話、そして書名ともなった「人の痛みを感じる国家」については、行政訴訟での国の敗訴が連続していることに関してのものでした。
次々と国の敗訴となったというのは、筑豊じん肺訴訟、水俣病関西訴訟、B型肝炎訴訟、原爆症不認定取り消し訴訟、C型肝炎訴訟、トンネルじん肺訴訟などです。
いずれも国の行政の怠慢、不作為を厳しく追及したものですが、あまりにも長い裁判期間により勝訴となってもそれを聞くのは遺影だけといった状況が多くなっています。
その事件を起こしたのも国の怠慢なら、その裁判をだらだらと長引かせるのも同様でしょう。
行政の不作為が厳しく糾弾される判決が出ても、それを行なった官僚はすでにそこには居らず。現在の官僚はまったく責任も感じません。
日本人の好きな歌の一つが「ふるさと」であるのですが、実際には多くの「ふるさと」が無残にも破壊されています。
人為的に破壊されることが多いのですがたまたま大きな地震で目に見える形で破壊されてしまったのが新潟県の中越地震で被害を受けた山古志でした。
大規模な地滑りが村内のあちこちで起こり多くの建物が流され、それだけでなく棚田も大きな被害を受けました。
そのふるさとを何とか再興しようとしている人たちもいます。
「ふるさと」破壊が現実に日本全国で起きているのですが、政府は教育基本法に「愛国心」に並べて「郷土愛」という言葉も入れ込もうとしました。
国の政策として地方のふるさとを徹底的に破壊するということをしておきながら、言葉だけ「郷土愛」などと言うものを子どもたちに教え込もうというのは、ダブルバインドというものです。
同じ口でよく語れるものだと呆れます。