本書著者の石浦さんは東京大学名誉教授ですが、東大定年後に同志社大学に移りました。
そこで担当したのが1,2年学生向けの生命科学の講義だったのですが、中には高校で生物を履修していない学生もいるということで、そういった人にも分かりやすい授業をしようと「小説みたいに楽しく読める」ことを目指して準備した内容をもとにこの本としたそうです。
生命科学の扱う分野には現在非常に関心が集まるものもあり、誰もが興味を覚えるのでしょうが、その解説をするというのは難しいもので、たいていは専門語が飛び交い庶民には分かりにくいものとなるか、下心丸出しの商業的なものになってしまいます。
それを考え、内容は正確にある程度のレベルを保ちながら、分かりやすい語り口でという努力をされたようで、それはかなり功を奏しているように感じます。
扱われている内容は、「進化」「遺伝」「DNA鑑定」「遺伝子組み換え、iPS細胞、ワクチン」「環境、放射能」「ゲノム編集」と多くの人が興味を抱きながらも取っつきにくい分野だと思います。
遺伝の話というのは皆がある程度の関心を持つものの、正確な知識がないために全く間違った言説が飛び交うこともあります。
「親に似る」ということが誰もが否定できないことなのですが、それが遺伝かどうかというとそうでもない場合がかなりあります。
優性遺伝、劣性遺伝という言葉も誰もが聞いたことはあるはずですが、これも誤解している人が相当いるはずです。
遺伝ではない病気を遺伝病だと捉えて差別するという事例も頻繁に起こりますので、これもできるだけ正確に知っていてもらいたいところでしょう。
劣性遺伝(この言葉は誤解されやすいので”潜性遺伝”という方が良いか)をする遺伝病というものはかなり存在します。
しかしこの場合その遺伝子を持っていても多くの人は発症しないで済みます。
(それが劣性遺伝という意味です)
ところがその保因者同士が結婚して子供を産んだ場合にその子が発症してしまうことになります。
ユダヤ人に多いテイサックス病という病気は、発症率が2500人に1人ということなのですが、この遺伝子を持つヘテロの健常の人同士が結婚するとその子供の4人に1人が発症することになります。
それではユダヤ人でこの遺伝子を持つ比率はどれほどか。
これは簡単に計算できますが、実に「25人に1人」だそうです。
2500人に1人という比率はかなり稀なものと感じますが、遺伝子を持つ人が25人に1人というのは結構多いと感じられるのではないでしょうか。
なお、このような遺伝病というのは他にも数多くあります。
自分は何の病気も発症していないといっても、何らかの病気の遺伝子は誰もが持っていると考えるべきなのでしょう。
日本の古代の天皇家でも叔父と姪が結婚したという例が多いのですが、それ以上に多くの近親結婚が繰り返されていたのが古代エジプト王家でした。
兄弟姉妹間での結婚も数多いのですが、それがミイラとして遺体を残しているために現在の遺伝子解析技術で血縁関係などが調べられています。
するとどういった結婚をしたかということが分かってきています。
このような学問を「分子エジプト学」と呼ぶのですが、これに対して多くの研究者が批判もしています。
3000年も前のDNAがそれほど残っているはずはないとか、墓堀人などのDNAが混ざっているのではといったことが言われています。
現在の分析はすべてPCRでやっていますので、ほんの少し紛れ込んだDNAでも検出されてしまいます。
一方ではこの手法が正しいという人もいて、それは研究者も墓堀人夫もほぼ男性なのに検出されたDNAには多くの女性の遺伝子があったということのようです。
遺伝子組み換えやiPS細胞などの話題も興味を感じる人が多いのでしょう。
食品となる生物の遺伝子組み換えには批判も多く、またそういったものを遠ざけたいという意志を持つ人もかなり多いようです。
ところがiPS細胞と言えばノーベル賞を貰っているからというのでもないのですが、あまり批判する人も無く、期待の技術といった捉え方が一般的です。
しかし、技術的な内容から言えばiPS細胞は遺伝子組み換えをさらに深く行うようなものであり、遺伝子組み換えに疑問を持つ人ならこちらにも疑問を持つべきなのではないかということです。
石浦さんが学生たちに希望しているのは、科学を正しく捉えるリテラシーというものなのでしょう。
この講義を受けて少しでもそれが受け取られたら良かったのですが。