爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「歴史アルバム 万里の長城 巨龍の謎を追う」長城小站編 馮暁佳訳

万里の長城といえば秦の始皇帝が作り始め、その長さは万里(5万キロ)にも及び、また北京から観光で見に行けるといったイメージがあります。

しかし実際の万里の長城はそれほど簡単なものではないようです。

 

この本は中国のインターネット上のサイトで一般の人も書き込みができるようになっており、色々な人が書き寄せたものを編集して一冊の本としたものということで、専門家ばかりが書いたということではないようですが、さすがに多くの人が興味を寄せているらしく高度な内容でさらに多くの写真が掲載され、長城の全体を掴みやすくなっています。

 

まずはその歴史から。

秦の始皇帝も長城建設を進めましたが、それよりもかなり以前の春秋戦国時代に初めての長城が建設されたそうです。

紀元前6世紀には当時の斉の国が防衛のために城壁を作り始め、続いて楚の国、そして戦国七雄と言われる、燕・秦・韓・魏・趙も競って作るようになったそうです。

中国を統一した秦が大々的に作ったのは北方の匈奴などの異民族の侵入を防ぐためであり、それはその後も長く続くことになります。

日本で言えば室町時代などにあたる明王朝でも長城の建設は続けられ、現在北京からの観光で訪れる人の多い、八達嶺も明時代に建設されたもので保存状態も良いものです。

 

長城といっても一続きになっているわけではなく、各時代の長城がそれぞれ別の場所にある場合もありますが、それらをすべて足し合わせると10万8千里(5万4千㎞)になるので一言で万里の長城と言われるのですが、中国では普通は「長城」とだけ呼ばれるそうです。

 

長城には各所に守備兵の詰め所が作られ、外敵の侵入があると狼煙を上げて報せたと言われています。

この狼煙というものがその文字から「オオカミの糞を燃やした」と言われることがあります。

しかし、実際に実験をした人も数多かったようですが、いずれもオオカミの糞ではほとんど煙が上がらずに役に立たないという結論になりました。

どうやら、「オオカミのような外敵」を報せるという意味で「狼煙」と言われたものが誤って解釈されたようです。

実際には枯れた柴木の上に湿った柴木を重ね、さらに油脂を撒いて煙を多く出させるようなものを使ったようです。

さらに上げ方に決まりがあり、毎日「何もなかった」という意味の狼煙を上げて、何かあった時はその意味を表わす上げ方をしたそうです。

 

古代から伝わる民話で、長城の建設のために徴発されて帰ってこない夫を探しに行った妻が夫の死骸を見つけて後を追うというものがありますが、実際に多くの人民が建設作業の厳しさで死亡したということが多かったようです。

それが原因で王朝が傾くもととなったこともあったようです。

 

宇宙からでも見ることができる建造物は長城だけだとも言われますが、これはどうやらホラ話のようで、長さは数万kmと長くてもその幅は数十mしかなく、これを数百㎞の上空から見分けるということは不可能です。

誰が言い出したことかも分かりませんが、一時は中国では学校の教科書にも載っていたそうですが、現在は削除されているということです。

 

最終章には長城を読んだ漢詩なども掲載されていますが、各時代の文学者ばかりでなく、林則徐や康有為といった政治の方で名の知られた人々も詩を作っているのは中国の伝統を感じさせます。

 

それにしても、あの広大な国土を防衛するということがいかに大変な事か、そしてそれに失敗し続けた中国の歴史を感じさせます。