爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「香乱記 中」宮城谷昌光著

中国の秦帝国が倒れ、劉邦が漢を立てるまでの間に斉で国を建てた田横の話です。
故郷を逃れ秦に赴き宰相李斯のもとに居た田横は乱が起こると斉に向かいます。秦の章邯が囚人70万人を解放し軍を編成して乱を治めるために進出すると陳渉呉光など乱の中心は討ち果たされますが、まだ若い項羽がわずかな手兵で章邯の大軍を破ることで形勢は大きく反乱軍側に傾き、秦は滅ぶことになります。
その間にまず斉王となった田横の従兄田儋は戦死し、その息子田市を王として田横の兄田栄が宰相、田横は将軍となりますが、秦を滅ぼしたことで大きな力を得た項羽により斉を攻められることになります。

そこまでが中巻の展開になりますが、どうもこれまでの単純な歴史認識から考えて項羽と劉邦が争ってそのうちに劉邦が勝ったという観念からだけ見るようなつもりでいると、当時の本当の感覚は分からないようです。
実際は項羽は叔父の項梁に従って起こったばかりでまだ若年で名も知られず、劉邦はその部隊長にすぎずまったく重要視されていない状況でした。それが項羽は抜群の戦い方により秦の大軍を破ると言う戦果を挙げたという実力で、また劉邦はたまたま軍が早く進められ秦が滅んだばかりのところに入ったと言う幸運で、その後の情勢展開に大きな力を得ることになりました。

田横など斉の王族は確かに項羽劉邦よりは人格が優れていたのかもしれませんが、それでもやはり田横だけで秦を倒すことが出来たかと言うと否定せざるを得ないでしょう。いくら秦が自壊していたといってもそれを実際につぶしてしまうには項羽のような戦力と運を実に付けた存在がいなければならなかったのでしょう。
この辺はわが国の戦国時代の織田信長とまったく同じような構図があったものと言えます。信長や秀吉が人間としてはあまり尊敬できないところも多かったようだと言うことは言われていますが、かといって人格者と言われた例えば上杉謙信が天下を取ることが出来たかと言うとまったく否定的でしょう。やはり壊すにも作るにもそういった人間が必要とされるのでしょうか。