爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「宗教改革の真実」永田諒一著

キリスト教宗教改革は1517年にドイツの修道士マルティン・ルターが、当時蔓延していたローマ・カトリック教会の贖宥状(免罪符)販売を糾弾する「論題」という書状をヴィッテンベルクの教会の扉に張り出したことで始まったと言われています。

 

そこから多くの争いが勃発し、大きな戦争も起こしていくのですが、それを社会史として見ていくと色々と違う面も見えてくるそうです。

 

まず、ルターが論題を教会の扉に張ったという事実はなかったようです。

実際にはマインツ大司教に「書状を送った」だけのようです。

しかしその後ルターの弟子として改革運動を戦ったメランヒトンという人物がより劇的に表現しようとして書いたのがその始まりでした。

 

宗教改革派たちはローマカトリックを攻撃する文書を多数印刷して配り、それで信者を多く獲得したと言われています。

しかしそもそも当時、そのような文書を読める人がどれほどいたのか。

庶民ばかりでなく、貴族や有力市民であっても文字を読めない人が多数でした。

それでも改革派は当時発明されて広がっていった活版印刷を使って多くのパンフレットを作成しました。

そのためか、分かりやすく挿絵が多いものも作られ、ローマ教皇を悪魔や動物などに描いた絵を入れて攻撃したそうです。

そういったパンフレットも一人一人が持つのではなく、文字の読める人の周囲に人々が集まり彼が読むのを皆で聞くという光景が見られたのでしょう。

 

改革派の増えたドイツでは都市ごとにカトリックか改革派かを選ぶという方策も取られました。

しかし一部の都市ではどちらとも決め兼ね、両方を認めるというところもありました。

アウクスブルクなどの自由都市ではそれ以前から両派が並立していたためにその後もそれを守ることとなりました。

そうなると時折起きたのが宗派が異なる男女の結婚でした。

結婚式というのは当時は宗教の教義に則って行われ、自分の宗派を再確認するという重要な儀式と位置付けられていました。

それがどちらの教会で結婚式を行なうか、かなり面倒な事態になったようです。

中には一方には嘘をついて結婚後はこちらの教義に入ると言って式だけは挙げるが結局は元通りといったこともあり、もめごととなりました。

 

現在の暦はグレゴリウス暦といって1582年にローマ法王グレゴリウス13世の名で発布したのですが、これは従来のユリウス暦の欠点を改めた優れたものでした。

しかしローマカトリックが発布したということで宗教改革派たちが反発し、その導入を認めず争ったそうです。

当時すでにユリウス暦では1か月近くの誤差が生じており不都合も多かったのですが、カトリック側が出したということだけで騒動となりました。

それに切り替えると大切な祝祭日が1年消えてしまうということも反発の要因だったようです。

 

ヨーロッパを近代に導いた一つの動きとも言える宗教改革ですが、民衆の視点から見れば何やら色々と興味深いものがあるようです。