爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「最後の晩餐の真実」コリン・J・ハンフリーズ著

およそ2000年前のある春の日、ナザレのイエスと言うユダヤ人が十字架にかけられて磔にされました。

「イエスが死に至るまでの最後の週は世界史上、特筆すべき一週間だと言ってよいだろう」

と本書冒頭に書かれています。

 

しかし、それが現在の暦を使って表記したくても正確な日付が分かっていません。

その経緯は聖書におさめられている福音書、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に書かれていますが、その内容がそれぞれ少し食い違いがあります。

そのため、これまでの聖書解釈ではどれかが誤りであるとかいった方法で収めていかざるを得なかったのでした。

 

しかし、本書著者のハンフリーズ氏は聖書研究者である一方、物理学者でもあり、その食い違いの原因というものを様々な方向から調べなおすということをやっています。

その遠因は、その地で当時実際はどのような暦を使っていたのかにあるようです。

支配者であったローマ人はその暦を使っていたのでしょうが、現地のユダヤ人たちは様々な暦を使っていました。

おそらくは、彼ら自身の祭りである過越し祭などは自分たちの暦で開催したであろうというのが著者の推測です。

 

さらに、その古代ユダヤ暦にもいくつもの流儀があることも分かっています。

ちょうどその頃のユダヤ人が使っていた古代暦の他にも、バビロン捕囚で主要なメンバーが連れ去られる前のユダヤ暦はかなり違っていたものですが、それを捕囚で連れ去られることが無かった人々はそのまま使っていたのではないか。

また、古代エジプトの暦の影響もあるのではないか。

 

どうやら、当時の古代ユダヤ暦そのもので解釈すると、イエスが最後の晩餐を行った日は過ぎ越しの祭りとはずれているのですが、それを何とかこじつけてしまいます。

 

最後の答えとして提示されているのは次のようなものです。

 

マタイ・マルコ・ルカの福音書には、最後の晩餐は過越しの食事であり、イエスはそのあとニサン(ユダヤ暦の月の名)の15日に処刑された。

一方、ヨハネ書によれば、処刑はニサン14日午後3時であった。

実は、ヨハネが使っていたのは当時の公式のユダヤ暦であった。

マタイらが使っていたのは、公式ユダヤ暦ではなく、「1日が日の出とともに始まる太陰暦」であった。

この暦では過越しの子羊を屠る儀式も過越しの食事もニサン14日に行われる。

したがって、ヨハネ書と他の3書の内容も整合している。

マタイらの暦とは、当時も一部に残っていた「バビロン捕囚前の古代のユダヤ暦」であった。

1世紀にもサマリア人やゼロテ派、エッセネ派などが使っていた。

 

まあ、目的のためには何でも解釈を合わせるという強引なもので、それですべてをつじつまが合うようにしてしまいました。

最初の「世界史上特筆すべき一週間」という書き方にも表れていますが、異教徒の私たちにとっては、呆れかえるような内容のものでした。

他の聖書の記述もまったく疑うこともなく書かれており、つい先日「聖書の記述は考古学的には根拠がない」と言う本を読んだばかりですので、その対極のような本と感じました。

 

何か、日本書紀に書いてあることはすべて歴史上の真実であるとしていた頃の日本を見るようです。

 

最後の晩餐の真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

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