歴史と言うものは、正確に詳しく語っていくとあまりにも長くなりすぎ、頭に入らなくなります。
もしも一地域の歴史だけであっても、その起源から現在までの流れを説明するのは簡単ではありません。
これは特に学生などに歴史学を教える教育者にとっては大問題だったようです。
著者のハーストさんは、オーストラリアの大学で歴史学を教えていたのですが、やはりその学生たちにヨーロッパの歴史を簡単に説明するということは困難だったようです。
そこで、おおざっぱな流れだけに絞って細かい事例や人名などにはこだわらず、概略説明だけを行うということを目指しました。
この本はその授業の内容をそのまま本にしたようです。
なお、さすがに「世界の歴史」は手に余ったようです。
オーストラリアのほとんどの人が起源をもつヨーロッパの歴史だけに絞っています。
第1章と2章が、これだけで全ヨーロッパ史を概説してしまうという大変な章になっており、さすがにそのあとに諸相として「侵入と征服」「民主主義」「封建制」「皇帝と教皇」「言語」「普通の人々」といった章で説明しています。
最初の「ヨーロッパを作った三要素」というのはいささか乱暴のようですが一般の学生にとっては分かり易いものだったのでしょう。
それは、「ギリシャローマ世界」「キリスト教」「ゲルマン戦士」です。
ああ、そうだなと思いますが、もちろんそれぞれを詳しく知りたければ自分で勝手に学んでねということなのでしょう。
これらの三要素は、非常に異質のものであり、とても共存することができるとは思えないようなものです。
しかし、それが混ざり合ってしまったのが現代のヨーロッパ文明(そしてそれは世界を支配する文明でもあります)だったということなのでしょう。
「幕間」として書かれているコラムも面白い文章でした。
ルネサンスの人々はギリシャローマの文化を再発見してそれを「古典」(クラシック)と認識しました。
ただし、現在の感覚での「古典」ではなく、当時の人々にとっては「古典=最高」という意味だったそうです。
中世の教会にゆがめられてしまったものを取り除けば「最高の文化」が現れたという認識でした。
これが崩れたのはようやく17世紀になってからで、天文学などにおいてギリシャ文明は間違っていたことが明らかになってからでした。
キリスト教の宗教改革というものの見方も、一つ一つの事例を見ていてはとらえきれないものがあるのかもしれません。
これはルネサンスの興隆とも関係します。
ルネサンスが始めに興ったイタリアは当時もその後も小国分裂の都市国家状態でした。
そして、宗教改革が起きたドイツも小国が数多く分立していました。
そのため、皇帝がルターを異端者と見なしてもそれに反対する諸侯が数多く、結局プロテスタントが十分に力を蓄えることができました。
このイタリアとドイツの小国分立は、その後のナショナリズム高揚につながり、それが結局ファシズム台頭にも影響を及ぼしたということです。
ハースト氏は触れていませんが、もう一つのファシズム国家日本もそうだったのでしょうか。
「歴史は最初に大まかにとらえる」というのは全く正しい方法でしょう。
日本の歴史教育もこれを意識すべきでは。
まず原始時代から始まり、だらだらと細かい事例を教え込んで最後は太平洋戦争前に時間切れでは、歴史嫌いを作るだけでしょう。
「正確な歴史認識を国民がみな持つ」ことは困るということなのかもしれませんが。