爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「廃仏毀釈について」

内田樹さんは合気道道場を開く傍ら、「寺子屋ゼミ」という活動もされているそうですが、先日のゼミで「廃仏毀釈」というものが話題となり、そこで話したことを記録しておこうということです。

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もちろん、内田さんも専門の歴史研究者ではありませんから、総体的な印象での話かもしれませんが、一応学校の歴史教育でも触れられていることですが、ちょっと考えただけでもおかしな現象だったということは想像できます。

 

神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

まず、神仏習合というものが、上記のように古代に仏教が伝わって以来1300年もの間に培われてきた伝統であったということを忘れてはいけません。

そして、どうやら明治政府の一篇の政令により、「軽々と」伝統を捨ててしまったように見えるという不思議さ。

 

さらに、寺院だけでなく、虚無僧や山伏、六部等々の「前近代的な宗教者」を禁止してしまいます。

かなりの数の人々が居たはずですが、大した抵抗もなかったようです。

伊勢神宮御師なども禁止されてしまいます。

さらに、神社も数を減らし整理されます。

これには南方熊楠が強く反対したそうですが、推し進められました。

 

しかも、さらに不思議なのは、このような廃仏毀釈の運動は慶応4年に始められ、明治9年にはほぼ終息、寺院は続々と復興したということです。

なんだったんだろうと思うような成り行きです。

 

昨今の、「葬式は仏教、結婚式はキリスト教」などという風潮を捉えて日本人の宗教観を云々することがありますが、この廃仏毀釈というものは、それ以上に日本人の宗教というものを考えさせるもののようです。