「医は仁術」とか「人の命は何より重いから手を尽くす」などと言っていた時代には医療と経済とはあまり結びつかなかったのでしょうが、医療費が財政に重くのしかかり、医療費削減が重点課題となる現在では医療経済学というのは避けては通れぬものなのでしょう。
しかし、経済学的に考えようとするとその対象たる医療体制というものがどうにも手におえないものでもあるようです。
そのような状況を解説するには、本書著者の真野さんは日本で医学部を卒業後に英米で医学からさらに経済学を学び、医学博士号に加えて経済学博士号も持つという、最適の経歴をお持ちの方かもしれません。
医療を経済から見るということは、多くの難しい点を持つようですが、実際には医療の何が経済行為かということを考えれば、そのすべてが経済行為だとも言えるもののようです。
ただし、通常の経済学を応用していくには少し考えておかなければならないことが出てくるようです。
経済学では「市場」というものが不可欠のものです。
そこでは「価格」というものを媒介として自発的に取引が行われなければなりません。
このような市場経済というものが、マルクス主義の計画経済に打ち克ったことは歴史上の事実であり、さらに市場経済は民主主義的な市民社会とも相性が良いと考えられています。
しかし、現在の日本の医療体制ではその「需要供給曲線」というものは全く無視されています。
経済学のそもそもの基本が通じないのに医療経済学などというものが存在できるのか。
実はこのように市場が機能しない場合を「市場の失敗」と呼びますが、医療というのはこの「市場の失敗」にあたるものです。
医療は公共財にあたり、さらに競争も不完全です。
医者と患者の間には情報の非対称性があり、さらに医者にとっても100%確実な予測などはないまま治療にあたるという、不確実性が避けられない世界です。
その意味では通常の経済学とは異なる原理で考えるべきなのでしょう。
本書ではこの後一般の経済学を用いた医療の分析、さらに行動経済学などの新しい経済学による医療、などの解析を続けていきますが、内容はかなり高度でありとても簡単にポイントをまとめるなどと言うことはできません。(難しすぎてあまりよく分からなかったという方が本当です)
医療情報は専門性が強く医師以外にはなかなか触れることもできず、理解も難しいものだったのですが、最近ではインターネットによる情報取得がかなり進んでいます。
このため、医師と患者の関係にも変化が生まれつつあるようです。
しかし、ネット情報は確かに情報収集には便利なのですが、ジャンク(くず)情報が多数含まれており、またその判断も難しいものです。
消費者(患者)が誤った医療情報を信じ、効果が少ない健康食品を飲み続けて正当な医療を受けられずに手遅れになるという事態が頻発しています。
情報の監視体制の確立が必要なのでしょう。
医療技術の急速な進歩というものも医療体制の大きな変化を引き起こしています。
ただし、数多くの技術の進歩はあるものの、それが大きな影響を及ぼしたというものもある一方、費用だけは多額であるものの社会的には大した変化ではないというものもあるようです。
1930年以降の抗生物質の発見、実用化は医学・医療の大幅な変革を引き起こしました。
それで人々の死亡原因の最たるものが感染症から生活習慣病へと変わってしまったのです。
これが第一次医療技術革新と言えます。
しかし最近の高額な医療機器の開発や抗がん剤の研究など、費用はかかったもののそれほどまでに社会の医療というものを変えたかと言えば疑問です。
これが第二次医療技術革新であり、現在もまだその渦中にあります。
患者たちはそれらの中間的と言わざるを得ない医療技術により、寿命は伸ばされましたが疾病は完治はしていません。
そのためもあり、治療費は高額に膨れ上がります。(完治しないので)
ところが現在は分子生物学の発展で第三次医療技術革新になるかもしれない変化がはじまっています。
遺伝子操作の他、臓器移植や体外受精といったものもその範疇にはいります。
これらがどのように発展するのか。
しかし個人別の遺伝子解析から遺伝子操作などといった技術は可能性は非常に高いもののその費用も莫大なものになるという予測が立ちます。
なお、このような技術革新だけでなく高度医療についても、その担い手たる医師や研究者の日本からの流出という危険性も高いようです。
非常に高度な話の医療経済学でしたが、先は厳しいという感触は受けました。