爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「本当の翻訳の話をしよう」村上春樹、柴田元幸著

村上春樹さんは世界的に有名な小説家ですが、海外小説の翻訳も数多くされています。

また柴田さんは大学のアメリカ文学の教授のかたわら、小説翻訳もされています。

お二人はもう長く交流を続けてこられたようです。

そういったお二人が雑誌「MONKEY」の企画で主にアメリカ小説とその翻訳ということで対談され、掲載されたのですが、その内容に加筆して一冊の本としたものが本書です。

内容としては確かに「翻訳の話」もかなりの量を占めていますが、「小説について」や「作家について」という方面にも話は広がり、非常に壮大な内容になっています。

 

最初の章の「帰れ、あの翻訳」ではアメリカの小説・作家について次々と話題が飛び出し、その注釈が多くなりすぎたためか、本文と注釈をページの上下に分けて構成するということをしており、注釈部分の方が活字が小さいために対談の本文よりはるかに多い字数で注釈が並ぶと言うことになってしまいました。

アメリカ文学などにはほとんど知識のない私にとってはまさに馬の耳に念仏の状態でした。

 

三番目の章は対談ではなく柴田さんの文章となっています。

「日本翻訳史 明治篇」と題されたもので、欧米から津波のように流れ込んできた文学などを先人はどのように翻訳していったのかをまとめています。

黒岩涙香森鴎外などは有名ですが、「翻訳王」と呼ばれたという森田思軒という人は知りませんでした。

わずか36歳で病死したということで、そのためにさほど名が知られなかったのでしょうが、その存在は翻訳という中では非常に大きかったようです。

なお、森鴎外夏目漱石はどちらも明治の文壇では大きな存在ですが、次々と翻訳をしていった森鴎外に対しほとんど翻訳というものをしなかったのが夏目漱石だったそうです。

漱石が翻訳が苦手だったというはずはなく、その能力は十分にありながらなぜか一冊の翻訳本も出しませんでした。

 

村上さんが出版した翻訳本の同じ部分を柴田さんが仮に訳してみたという文章例もあり、人によりかなり雰囲気の異なる訳文になるものだと感じます。

チャンドラーの本の例が載っていますが、主人公が「私」と自称しているように村上さんは訳していますが、柴田さんは同じところを「俺」としています。

それぞれに考え方があって選んでいるのですが、どちらが相応しいかは読者の好みもあるのでしょうか。

 

私も英語小説でもとても原文では読めませんので、翻訳が頼りなのですが色々とありそうなところで興味深いものです。