爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「地球を壊す暮らし方」ウルリッヒ・ブラント、マークス・ヴィッセン著

気候変動などに対するために環境に配慮するといったことが大きく支持を集め、脱炭素化などという掛け声だけは強くなっています。

 

しかし、それを唱える人々の暮らし方を見ればその中味はこれまでとほとんど変わらず、「帝国型生活様式」そのままではないか。

かつての植民地搾取と変わらない構造のまま、資源や食料を南から奪い続けているのではないか。

そういった強い問いかけをしています。

 

本書の主題とも言える「帝国型生活様式」とは何か。

それは一般的な概念としてある「アメリカ型生活様式」とも言えるものです。

つまり、自動車や自家用飛行機などによる個人的な移動手段の確保、肉の多い食事、資源浪費的な消費財を伴うものです。

それを成立させたのは世界の多くを植民地として支配したかつての帝国主義国家でした。

しかし、政治体制としては消えた後でも経済体制として残り続け、それを享受した欧米各国で帝国型生活様式としてその上流・中流階級に残りました。

さらに、現在では新興工業国として発展している中国やインドなどでもその新興上中流階級でその生活様式を楽しむ人々が増えています。

 

そのような帝国型生活様式について、本書ではその描写から概念、その形成史、さらにグローバルな普遍化、そして一見「緑」という言葉さえ付けば良いかのような「緑の経済」「緑の資本主義」というものの欺瞞性などを説明していきます。

 

とてもその概要すら書き記すことは困難ですので、いくつかの印象的な部分のみ書き留めておきます。

 

持続可能性などということが取り上げられ、皆がそれに向かおうとしているかのような印象を持たされていますが、実際には人類の三分の二がいまだに工業社会といえる中では生活しておらず、彼らの大部分が化石燃料を基盤として工業化することに多大な努力をしています。

それを些細な問題かのように過小評価することが多いのですが、それでは済みそうにありません。

 

アメリカで自動車の大量生産、大量消費に始まった新たな資本主義はその中心的な自動車の名前からフォーディズム型資本主義と呼ばれます。

その中で一戸建て住宅や電化製品もさることながら自動車というものがその性格をはっきりと示しています。

それによって自由な移動を可能としたものの、その生産に必要な資源、エネルギー源は莫大なものであり、それはグローバル・サウス(資源供給国)を搾取することで可能となりました。

 

グローバル・ノースにおける帝国型生活様式の深化はごく最近でも驚くほど進んでいます。

世界全体の商品輸出は1995年のおよそ5兆米ドルから2014年のおよそ19兆米ドルへと約4倍に増加しています。

この間の世界の国民総生産の増加はそれほどでもなく、とにかく「輸出入」が著しく速く増加しているということです。

これは世界の貨物輸送量の増加を見ても分かることで、特に最終製品としての輸出入量が急増していることが判ります。

また航空旅行の増加も急増しており、これまでの45年で約10倍に増加しました。

その増加量はアメリカ国内が特に多いものの、ここ数年では中国・インド・インドネシアで急増しています。

 

脱酸素化の掛け声のもと、一番大きな声で主張されているのが自動車の電動化です。

そこでは例によって「運転時には二酸化炭素排出がない」ということは強く言われるのですが、その新しい電動車の製造のためにどれほどの資源の消費とエネルギー消費が促進されたかということは触れられません。

さらにその充電のために使われる電力も再生可能エネルギーから得られるだろうと言われていますが、それが成功するかどうかも分かりません。

電動車には多くのレアメタルが使用されますが、その供給が本当に追いつくかどうかも忘れられたふりをしています。

プラチナも銅もその需要の増大には追い付かないだろうと専門家は予測しています。

リチウムも埋蔵量自体は十分にあると言われていますが、現在のリチウム採掘場所における環境破壊のひどさは触れられることはありません。

このような金属の採取のために、現在では再生不可能な化石燃料が大量に投入されていきます。

鉱石が減少するにつれて、必要な化石燃料の量がさらに増加していくでしょう。

 

これらの解決策として、連帯型生活様式というものが最後に提唱されています。

ただし、それほど分かりやすいものではなく、具体的でもないということは、やはり見通しは暗いということなのでしょう。

 

本書の主張は私がこれまでに述べていたこととかなり近いものと感じました。

ただし、文章がかなり分かりにくかったというのが残念なところです。

巻末の訳者解説にも「本署は専門書ではないが判りやすい本でもない」とありますが、もう少し判り易くする必要があったようです。