爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「三国志 外伝」宮城谷昌光著

宮城谷さんは「三国志 全12巻」を刊行していますが、その時代の重要人物でありながらその本の中にはあまり取り上げられなかった人々について、三国志の特別付録やオール讀物誌に読み切りの形で掲載しました。

三国志シリーズが完成後にその外伝として一冊の本としたものです。

 

その登場人物は、王粲、韓遂許靖など。

ちょっと変わったところでは、蔡邕の娘の蔡琰(サイエン)、そして正史三国志の著者である陳寿も取り上げられています。

 

魏呉蜀の争いを特に蜀の劉備を中心に描いた三国志演義)ではほんの脇役や、旧王朝の無能な役人程度にしか扱われない人々が多いのですが、後世までその名が輝いて伝えられたとは言えなくても相当な人物が居たものだと感心させられます。

宮城谷さんも三国志の正伝の方ではある程度の脚色は交えているでしょうが、こちらの外伝ではほぼ史実を描いているものと思います。

これまでの演義などから受けたイメージがかなり変わった人物もありました。

 

太史慈という人もあまり大した活躍をしたとも言えないのですが、かなり広く名を知られた人物でもあり、またその危機にあたっての度胸と行動力は素晴らしいもので、孫策との戦いでは孫策をあと一歩まで追い詰め、その後孫策に迎えられて重用されたという人物だったそうです。

 

楊彪漢王朝の三公の地位に上った楊震の曽孫でした。

楊震はその名を知る人はあまり居ないでしょうが、漢王朝の高位につきながらも清尚を貫いた人で、彼の言葉から起こった有名なものがあります。

それが「四知」というもので、ある時賄賂を渡そうとした人に向かって「天知る、神(地)知る、我知る、子(なんじ)知る、なんぞ知るもの無しと言う」と言って断ったというものです。

その曽孫の楊彪も王朝から招かれても学問を究めるまでは応じず、出仕してからは司徒など最高位の地位になりますが、時はちょうど宦官の横行から董卓などの専制等、激しく揺れ動く中で大変な状況となります。

 

漢の最後から三国時代に至るという、大激動の時代に人々はどうやって生き延びていたのか、それぞれの立場に視点を移していくと、また違ったものが見えてきそうです。