爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「無意味耐性の高い人たち」

内田樹さんのブログ、「研究室」ですが、この前の菅首相の広島での失態にからめて、「無意味なことに耐性のある人々」を論じています。

 

blog.tatsuru.com8月6日の広島での平和祈念式典で、菅首相はスピーチの一部を読み違えましたが、それは「原稿の1ページが糊で貼ってあった」ためだと言い訳をしていました。

しかし、読み間違いはそれだけでなく他にも数か所(あの短い文章の中で)あったようです。

 

これで明らかなのは、あのわずか5分程度の短い文章すら、前もって目を通すこともなくその場で読むのが総理大臣だということですが、それ以上に明白なのは「無意味なこと」をやるのに慣れ切った人種が政府中枢を始め社会の上層から広がっているということです。

 

「無意味な言葉を朗々と読み上げ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち」を内田さんは「無意味耐性が高い人たち」と称しています。

実は、日本ではこういった能力は高く評価されているということです。

受験秀才は「なぜこんなことを覚えなくちゃいけないんだ? こんな知識に何の意味があるんだ?」という問いを自分に向けない。会社で重宝されるのは上司が発する業務命令に対して「どうして、こんな仕事しなくちゃいけないんですか? これ、意味ないじゃないですか?」と言わない人間である。
上意下達組織において最も重んじられるのは「イエスマンシップ」であるが、これを考査するための最も簡単な方法は無意味なタスクを課すことである。

まさにこういった組織が政府だけでなくあらゆるところに広がっているのが日本社会なのでしょう。

 

今思えば私の勤めていた会社にもそういった面がありました。

「意味のないことはしたくない」と言い張った私は出世街道から外され最後は早期退職に追い込まれました。

このような社会の将来は暗いものでしょう。