いつも「夢の話」として、眠った時に見る夢を話題にしていますが、これは社会的に広く使われている意味での「夢」つまり人生の希望と言った意味を表す「夢」の話です。
最近「ドリームハラスメント」という本を読み始めまして、これは若者たちに「あなたの夢はなんですか」と問いかける場面が非常に多く、それが当の若者たちを非常に苦しめているという内容のものなんですが、まあその本の書評はいずれ書くこととします。
しかし、これを読み始めたと同時に自分に対して「お前の”夢”は何なのだ」という問いかけも起きてしまいました。
上記の本では、夢を持つということが非常にハードルが高い事であり、「あなたの夢は」と尋ねられることが若者たちにとって厳しいということなのですが、しかし、「私の夢は何だろう」と考えると、次から次へと夢のような、希望のようなことが次々と出てくることには、我ながら驚くほどです。
それだけ、精神年齢が若いのでしょうか。
まあバカだということかもしれませんが。
考えてみると、会社に勤めていた頃(もう10年も前)を思うとその頃に「私の夢は」なんていうことは考えることもありませんでした。
しかし、定年前の早期退職に応じ会社を辞めて以来、色々なことを考えるようになると会社勤めだった頃よりははるかに多くのことを考えるようになったと感じます。
今考える最大の「私の夢」は
それは何と言っても「脱エネルギー社会を構築すること」です。
とは言え、自分自身は何の力もない退職者ですので、このブログなどで発信し賛同者を少しでも増やしていくということになります。
私の信じるところでは、このままエネルギー依存文明(≒経済成長文明)は早晩限界に突き当たり、その時には文明破滅の悲劇となると思いますので、それ以前にコントロールできるような過程で脱エネルギーを進めることが不可避だと感じます。
それを成し遂げるとしてもとても一気にできることではありません。
小さなところでは(しかし実現は非常にむずかしい)日本に本当の民主主義社会を作り出すこと、ボス支配を体現したかのような自公政権は打ち倒すこと、アメリカ支配の体制を崩すこと、経済成長依存体質を打ち破ること、温暖化妄言を正すこと、等々非常に多くのことが「為すべき事」として山積しており、とても「何も夢がない」などと言っているわけには行きません。
もちろん、私などが何を言っても直接社会に響くような力はありませんが、それでも少しでも信じるところを発信していくべきだと信じています。
おそらくあと何年かは分かりませんが「死ぬまで」発信し続けることになるのでしょう。
生きている間にその成果が少しでも見られるとは思っていませんが、いつかは実現するのではないか。
それが「私の夢」かもしれません。