爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「すぐにでも化石燃料を使わない党」という政党を立ち上げても良いんだけど、ハードルはかなり高い。

たまたま激しい天候不順状態が続いていることもあり、「二酸化炭素温暖化による気候変動」説が勢いづいています。

 

とは言え、何をしようとしているかを見ても、2050年までに二酸化炭素排出ゼロを目指すとか、再エネ転換を急ぐとか、その割にはやろうとしていることは迂遠にして亀のごときのろのろ歩き、気候災害の切迫感が高まるのとは釣り合わないようです。

 

結局は「経済成長路線」は維持しながら小出しの対策を打ち出していかなければならないだけの、非常に限られた手段しかない現代政治(日本ばかりでなく世界を覆っています)の限界なのでしょう。

 

そこまで気候変動が危険なら、なぜ「すぐにでも化石燃料は一切使わない」と言えないのでしょう。

 

私はこれまでも「エネルギー文明論」の項で繰り返し、「このようなエネルギー使い放題の文明はやがて滅びる」と言い続けており、エネルギー使用削減はすぐにでもするべきと言っています。

 

その主張とは根本的に基礎は異なりますが、やろうとしていることは一緒。

化石燃料使用を止める」ということです。

ただし、世の中の似非環境論者のように「代替エネルギーを開発しながら」などという根底には徹底的な矛盾を含むことなど言いません。

「化石エネルギーに代わる代替エネルギーなどという都合の良いものは無いのでエネルギーを極力使用しないようにするしかない」ということです。

 

そして、どうやらこういうことはいくら繰り返し言っても社会は動かないということにようやく気が付きました。

やはり「政治的勢力」とならなければいけないということです。

 

そこで考えたのが「すぐにでも化石燃料を使わない党」という政党を作るということです。

もちろん、単に使わない運動をするだけではありません。

これを推進するためには社会全体の構造を変えなければいけません。

我々だけが使わないと言っても、横では石炭石油使い放題の活動が行われていたのでは何にもなりません。

日本中、そして世界中がこれを守らなければ意味が無いことになります。

 

とは言え、このような活動は非常に実行が難しい。

なにしろ、政治活動でも化石燃料を使わないとなれば、選挙の自動車も使えません。

どこへ行くにも歩いていくか。

化石燃料を使って作られているものもすべて拒絶するとなると、食べ物、衣料、その他すべての商品は使えません。

 

つまり、そこまで強力にエネルギー使用の文明というものが我らの生活のすみずみまで支配しているということで、それを抜け出すということは非常に難しいということです。

 

ならばどうするか。

やはり、「かなり急いで化石燃料を使わない社会にする」ということでしょう。

何か、急に曖昧な態度に落ちたようで少し恥ずかしいのですが。

具体的には、これまでも「エネルギー文明論」のカテゴリーの中の「脱エネルギー私論」(仮称、そういう題では載せていません)で述べてきましたが、まず自動車全廃、それに伴って社会構造も大きく変えていくということになります。

その過程でエネルギー使用量は大きく落ちていくはずですので、まあこの程度でも仕方ないか。

 

このコロナ禍でのエネルギー使用量落ち込みもせいぜい数割にとどまっています。

それを半量に削減、さらに10分1に削減ということをしていくのですから、社会の隅々まで唯では済まないことになります。

だからこそ、政治活動でなければできないのですが、まあ選挙で入れてくれる人が出るはずもなく、やはり無理かな。