爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「嗅覚はどう進化してきたか」新村芳人著

「匂い」を感じるとはどういうことなのか。

その機能を研究していくと不思議な生物の働きが分ってきます。

 

香料というものは、人類の文化が生まれた当初から重要な働きをしていました。

エスが産まれた時に東方からやってきた三賢人は黄金・乳香・没薬の贈り物を捧げました。

この乳香というのはボスウェリア属の樹木、乳香樹から採取される樹液です。

没薬もコンミフォラ属の樹木、没薬樹からの樹脂でアラビア半島で採取されます。

こういった香料は文明の早い時期から知られ、高価なものとして流通していました。

他にも麝香、竜涎香、霊猫香などといった香料が知られています。

 

匂いというのは感覚であり、それを引き起こすのは分子です。

分子は空気中を漂って、鼻に到達しその奥にある嗅神経というところで嗅覚受容体という細胞に結合します。

それによって引き起こされた刺激が脳に伝わり匂いを感じるとうことになります。

 

匂いを感じさせる分子のうち分子量が最も小さいのはアンモニアで、分子量17です。

一方、もっとも大きいものは分子量389のインドール系化合物です。

ただし、その範囲の分子量で気体になるものがすべて匂いがあるというわけではなく、窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素一酸化炭素などはいずれも匂いはありません。

大部分の匂い分子は有機物です。

これはやはり生物の活動が匂いを感じることと関係があったからでしょう。

ただし、無機物の中にも例外的に匂いがあるものもあり、ハロゲン元素、リン、ヒ素などは匂いを感じます。

また、「金属臭」というものを感じることがあります。

しかし、これは本当に金属から出るイオンの匂いを感じるわけではなく、汗で湿った手で金属を触った時に発生する分子のうち、「1-オクテンー3ーオン」という分子の匂いだということが明らかになりました。

鉄に触れると常にこの反応が起きるため、鉄そのものの匂いだと錯覚してしまうようです。

 

 鼻の奥には嗅神経細胞が何百万個も並んでいて、そこには嗅覚受容体というセンサーがあります。

ヒトではその種類が約400種類ということですが、一種類の受容体が一種類の匂い分子と結合するというわけではなく、その関係は多対多となっています。

その組み合わせで匂いが分別されるようなシステムになっています。

脳はそのパターンを認識してその匂いであると判別しているようです。

本書ではそのシステムを「色覚のメカニズム」と対比して論じています。

光受容体はヒトでは4種類あり、そのうち3種が色の判別に使われます。

それぞれの受容体は、赤、緑、青に対応する光によってもっとも活性化されます。

そして光を感じている場合にはその波長によって受容体の活性化率が異なってきます。

もしも「黄色の光」が知覚されるという場合は「赤オプシン(受容体)と緑オプシンが同程度に活性化され青オプシンは活性化されない」という状態として認識されています。

これを「三原色」というのですが、しかし匂いの場合は「原臭」というものはありません。

かつては三原色と同じように匂いにも「原臭」というものがあるのではないかと考えられ、盛んに研究も行われました。

1963年にはイギリスのジョン・アムーアという化学者により「7原臭」というものも発表されましたが、その7原臭をいくら調合しても作れない匂いが非常に多いことが分かり、この理論は否定されています。

 

「イヌはヒトの1億倍の嗅覚を持つ」などという話がありますが、それは少し大げさだとしても動物により嗅覚には大きな差があります。

嗅覚受容体を作り出す遺伝子の数は動物によって違い、ヒトでは約400個ですがイヌはその2倍の800個です。

ところがアフリカゾウではさらに多い2000個もの遺伝子を持っています。

それでは「ゾウはイヌの2倍以上鼻が良い」のでしょうか。

嗅覚を比較するには、「どれくらい低濃度でも感知できるか」という感度の問題と、「同じような匂いを嗅ぎ分ける」識別能力の問題があります。

アジアゾウアフリカゾウほど遺伝子数が多くはないのですが、おとなしいために実験に使うことが可能なため、「匂いの判別能判定試験」をやった事例があります。

それによると、ほとんど同じ構造の化合物でも匂いの差を嗅ぎ分けることが立証され、それはヒトやリスザルより優れているということが分かりました。

 

イヌの嗅覚が優れているという場合は、感度の問題が主要になります。

感度に影響を与えるのは、一つには嗅神経細胞の数がありますが、人で約500万個であるのに対しイヌでは2億個です。

また嗅覚受容体そのものの感度の違いもあり得ることですが、これはまだ研究されたことがありません。

鼻の解剖学的な構造の差も感度に影響する可能性があり、イヌの鼻腔構造は吸気に含まれている匂い分子を効率的に送り込むことができるという研究結果もあります。

様々な要因はありますが、1973年にモールトンと言う研究者が発表した論文によれば、「イヌの嗅覚感度はヒトの約100倍」だったという結果が出たそうです。

「1億倍」とはかなりの差がありますが、実際はイヌの中でも種による差、個体差、そして対象とする化学物質の差も大きく、一概に何倍とは言えないようです。

 

嗅覚というものが進化の過程でどのように変化してきたかと言う研究もされています。

嗅覚受容体遺伝子の数は猿の類でも種によって差があり、原始的な曲鼻猿類(キツネザルなど)では700個程度あるものがオナガザルなどでは370程度、ヒトやチンパンジー、ゴリラなどでは400個程度となっています。

どうやら霊長類は進化の過程で嗅覚受容体遺伝子を徐々に失って行ったようです。

これには、進化により食物が変わってきたことと関係がありそうです。

一口でいって果物から葉へ食べ物が変わりました。

その後ヒトになると「生ものは食べず必ず火で調理する」ようになりました。

そのために嗅覚もかなり変化したようです。

このあたりの遺伝子の研究はまだ始まったばかりであり、今後も現在の人類や化石人類の遺伝子を研究していくことで解明されていくことでしょう。

 

嗅覚はどう進化してきたか――生き物たちの匂い世界 (岩波科学ライブラリー)

嗅覚はどう進化してきたか――生き物たちの匂い世界 (岩波科学ライブラリー)

  • 作者:新村 芳人
  • 発売日: 2018/10/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)