著者の一人のチフィエルトカさんはポーランド生まれでオランダのライデン大学教授ですが、日本など東アジアの食文化の研究者、安原さんも日本食文化を研究しています。
その二人が驚いたのが、近年の「和食」についての関心の急激な高まりです。
これは明らかに2013年にユネスコの世界無形文化遺産への登録により起きた事態であり、タイトルに「和食」が入っている書籍だけでも2014年からの2年間で100冊以上が刊行されています。
しかし、和食が「伝統的な食文化」と言う割にはその近代史は十分に検討されているとは言えない状態です。
食文化の専門研究者として、それに一言口を挟まなければいけないだろうと言うのが本書です。
まず、「和食」という言葉自体、それほど古いものではありません。
江戸時代までの外国の料理をほとんど意識していない状況では、自分たちが食べている料理だけが料理であり、それが「和」かどうかということは考えられませんでした。
明治時代以降に西洋からの料理を受け入れていく過程で、洋風料理に対し「洋食」(ただし日本風の)という言葉が生まれましたが、それに対して日本の料理というものを認識していきます。
しかし、通常は「日本料理」という言葉が使われていたようで、「和食」と呼ばれることはごく一部以外には無かったようです。
さらに、和食の基本として「一汁三菜」と言われますが、この献立構成もさほど古い起源ではありません。
そもそも「米のご飯」は日本のどこでも主食として食べられているわけではありませんでした。
米を作りそれを税として納めることは全国で行われましたが、それが集まる江戸や大阪では米食が行われたとしても、地方では庶民の口にはなかなか入らないものでした。
さらに、米の生産には不向きな山間部ではまったく米を食べない人々もかなりの程度居たようです。
実は、米が全国民の主食として位置づけられたのは、1941年から実施された米の配給制度だったようです。
米の供給が難しくなったために実施された配給制度が、逆にそれまではほとんど米を食べられなかった人たちにも米を配ることになったということです。
ただし、その状況もすぐに消え去り配給されるのは大豆や芋となりましたが。
「一汁三菜」なる献立構成も、ごく一部の富裕層はともかく庶民にはまったく高嶺の花でした。
ご飯に一汁、それに漬物くらい付けられれば良い方でした。
それが可能であったのは高級料亭くらいのものだったのですが、それが戦後になり高度成長期に急激に食糧流通が充実し、庶民にまで普及してきました。
ただし、その頃にはすでに洋食が一般化していたために、庶民の「一汁三菜」は日本風のものとは言えなかったようです。
そして、最後に21世紀になってから「和食」というものへの注目が高まっていきました。
これには政府が主導した日本文化のブランド化というものが大きく関わっていたようです。
ただし、そこでも最初のうちは「日本食文化」「日本食材」といった用語を使われていたのですが、それが「和食」となったのはやはりユネスコの文化遺産登録を目指す過程で選ばれた言葉だからということがありました。
「和食」というものが一般に考えられているような「日本人の伝統的食文化」であるということは少し怪しいものの「近代史を反映する貴重な文化財」であるというのは皮肉な指摘かもしれません。
戦前までは米の食事を取ることができない国民も相当数に上っていたのですが、それを形の上では決めた米の配給制度もほとんど機能せず、ようやくご飯を毎食食べられるようになったのは、1950年代も後半になってからのことでした。
一人あたりの米消費量は1950年頃までに急激に上昇し、その後20年近くは一定に近かったもののその後は減少に転じ、1970年代以降は急激に減少します。
また一汁三菜の三菜に必要な野菜や魚などの供給も1955年にようやく戦前の水準に回復しさらに増加していきます。
しかし、その後の米離れにより「一汁三菜」状態が存在したのはごくわずかな時期だけだったと言えるようです。
「和食」の概念の確立にとっては「ユネスコの世界文化遺産登録」というものが非常に大きな意味を持っていました。
日本政府が「日本食」の登録を提案するという動きが出たのは、韓国が「韓国宮廷料理」の登録をするということが分かった、2011年ころからだったようです。
しかし、「韓国宮廷料理」の登録は拒否されました。
宮廷料理のような特定階層向けの高級食は登録の目的に合わないからということでした。
それを見てあわてたのが日本政府で、それまでの「会席料理を中心とした日本料理」では一部の高級料亭だけの料理のように思われかねず、韓国宮廷料理の二の舞になるのではと考え、急遽路線を見直したのが「和食の伝統」でした。
庶民の食生活というものがアピールされていたのですが、その中身は以前同様の「会席料理」のイメージだったようです。
その結果、庶民の食卓とはかけ離れたものが和食として喧伝されるようになりました。
他にも多くの人が意見をしたように「そんな和食なんて昔は誰も食べていない」ことになりました。
これが、「和食」という言葉が氾濫するようになった基にある事実のようです。
- 作者:カタジーナ・チフィエルトカ,安原 美帆,Katarzyna J. Cwiertka,Miho Yasuhara
- 出版社/メーカー: 新泉社
- 発売日: 2016/08/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)