内田樹さんは現在は京都精華大学に居られるそうですが、そこの現在の学長がウスビ・サコさん、アフリカ出身のムスリムだそうです。
そのサコさんの本、「サコ学長、日本を語る」が出版されたそうですが、その解説を内田さんが書いていて、その一部をこの研究室に掲載しました。
外国人で日本の大学の学長にまでなるということは相当なことだと思いますが、ご本人もそれほどの人物なんでしょう。
そういったところを、内田さんは色々なエピソードを連ねることで鮮やかに彩ります。
サコさんは日本に来る前は中国にいたそうですが、そこで出会った日本人たちは「電化製品をいっぱい持っていつもレトルトカレーを食べている」という印象で、あまり良いものではなかったようです。
しかし、1990年に初めて日本を訪れてその印象が一変したそうです。
パッチ穿いて「だらしなく過ごしている」お父さんや、ビール飲みながら「わけのわからんテレビ」を見て大笑いしているお母さんを見て、サコ先生は「いいな」と思います。
「パターン多いやん。面白い。
日本にもこういう明るい社会があり、社会性や地域性やコミュニティ感覚があって、人懐っこい人間たちがいる事実を、初めて確認した。」(47頁)
どうやら大阪に来たようです。
この印象の変化で、日本について大いに興味を持つようになりました。
内田さんもここに強く反応します。
「日本の魅力を語るのに、”だらしなくて””わけがわからない”ことをあげた人はサコさんが初めてだった」からです。
ただし、日本に住み日本人を知るようになったサコさんは、その点についても大きく印象を変えることになります。
たしかに、「だらだらした」人も居るのですが、それ以外の人の方が圧倒的に多いようです。
特に、学校教育において「だらだらした」ことを許す雰囲気は全くありません。
余暇の過ごし方すら、趣味やスポーツに「全力で」当たらなければいけないような雰囲気にされてしまいます。
サコさんは自分の大学の学生たちの声にもそれを感じます。
サコ先生の言う「だらだら」というのは、「査定されたくない」「格付けされたくない」「意味づけされたくない」という積極的な志向のことなんじゃないかと僕は解します。そして、サコ先生の語彙だと、それがたぶん「自由」ということなんだと思う。
次の引用もサコ先生の怒り爆発の箇所です。「自由を実現するために必要なことを問うと、こんな答えが返ってくる。
『スクールバスの本数を増やしてほしい』
『休憩を増やしてほしい』
『授業を減らしてほしい』
何もかもが『ほしい』なのである。
どうやら、『他者が、誰かが自分に自由を与えてくれる』と、学生たちは誤解しているようだ。(...)
『誰か私を自由にして』って、なんでやねん!」(127-8頁)
どうやらサコさんの口癖は「なんでやねん」のようです。
ウスビ・サコさんについては、まったく知識がありませんでしたが、相当面白い方のようです。
気にかけておこう。