学校の卒業式の定番曲ともいえる「仰げば尊し」、明治時代に選定された「小学唱歌集」に掲載されているものの、その原曲は何かということはまったく知られていませんでした。
しかし、本書著者の一人櫻井雅人が、2011年に発見しました。
それは、H・S・パーキンズ編著の「ソング・エコー」という曲集の中の「卒業の歌」(Song for the Colse of School)というものだったのです。
ただし、それは見つけただけで全部解決といったものではなく、そこからさらに「小学唱歌集」というものの調査、それに載っている他の曲の追求など、様々な方向に進んでいきました。
小学唱歌集とは、明治15年から17年にかけて年1編が刊行した全3巻の最初の音楽教科書とも言えるものです。
しかし、それに掲載されている歌の原曲というものが何かということはほとんど分かっていませんでした。
数曲の来歴から、なんとなくスコットランドやアイルランドの民謡に由来するとか、賛美歌に由来するとかいったことが言われていましたが、どれも確固たる証拠があってのものではありませんでした。
たかが音楽教科書の曲の履歴と見られるかもしれませんが、国民の教育を形作ろうとしていた当時の政府の方針、そしてそれらの曲を通して日本人の心に働きかけてきたものを考えると、それを明確にしておくということは大きな意味を持つものです。
まず、「仰げば尊し」ですが、これほどまでに日本人には慣れ親しんだ曲であるにも関わらず、海外で歌われたり楽譜が売られたりといった形跡がほとんど見つかりませんでした。
その来歴にも民謡説、賛美歌説、日本人作曲説など多くの推測がされていたのですが、どれも証拠あっての説ではなく不確かなものでした。
日本の「小学唱歌集」に載せられた歌は、海外由来の曲に日本語の歌詞を付けられているので、元の歌詞を探るということもできません。
したがって、海外の曲集などを探索する場合にも、すべて「実際の楽譜」を見るしかなく、非常に困難であったそうです。
それでも最近はネット上で検索できる曲集もできてきたので、まだ容易にはなりつつあるそうです。
そして、ようやくパーキンス編の「ソング・エコー」という曲集を見つけ出し、その中に「仰げば尊し」と同じメロディーの曲を発見したのでした。
ただし、この「Song for the Close of Shool」という曲は、この曲集以外に掲載されているものは発見されていません。
この歌の作詞者は判明しています。
T・H・ブロズナンという、生命保険会社を経営していた人物ですが、音楽教育にも力を入れていたという人です。
一方、作曲者は不明のままです。
H・N・Dというイニシャルか何かが付されていますがそれが誰かは特定できません。
もしかしたらこの本の編者のパーキンスかもしれませんが。
ソングエコーという本は、1871年にニューヨークの楽譜出版社であったJ・L・ピーターズという会社から出版され、学校の音楽教科書として販売されたようです。
そして、紹介文に「西部ではかなり人気がある」と書かれていますが、それほど広く売れた本でもないようです。
この本が何らかの経路で日本にもたらされていたのは間違いないようです。
この仰げば尊し以外にも、小学唱歌集に2曲転載されている事実があります。
ただし、それを誰が日本に持ってきたのか、そしてそこから曲を選んだのは誰かということは確定できないようです。
そして、そこから本書著者たちは「小学唱歌集」に掲載されている他の曲の原曲は何かということにも調査をすることとなりました。
「原曲」と言っても、誰かが作曲し発表したということがはっきりとしている曲であれば特定できますが、たいていの曲はそのようなものではなく、どこかに起源があるにしてもそこからいくつもの経路を通って伝わってきたというものが多く、様々な曲集を入手し、そこに同じような曲(しばしば「ちょっとずつ違う」)があればそれを系統づけて整理するしかありません。
それより古い歌集が見つからない場合、それを「原曲」(original)と呼びますが、これは暫定的ともいうべきものであり、それより古いものが見つかる可能性は必ずあります。現時点での原曲と考えるべきでしょう。
最後に一応の結論がまとめてあります。
小学唱歌集の各曲を調査した結果、スコットランド民謡由来が8曲(少なく見積もれば6曲)、アイルランド民謡が1曲。
賛美歌から来たものが10曲。ただし、もともと世俗曲で賛美歌となったものがある。
そのうち34曲がドイツ曲、残り25曲は英米のもの。
英米独の唱歌と言われる曲が多いのですが、それ以外に多くの曲が紛れ込んでいることに何らかの意味があるのではないかと見ています。
これらの唱歌を歌いながら近代日本人は大人になっていきました
それを考えてもこれらの歌の意味は大きいものでしょう。