「身を立て名を挙げ」と言えば「仰げば尊し」の一節とすぐ分かるのはある程度の年齢の人だけで、最近はあまり卒業式でも歌われなくなっているとか。
そいうった「立身出世」というものが最近の先生方に不評だからではないかということですがどうでしょう。
しかし、身分制度が崩れて誰でも努力しさえすればそれ相応の地位に就くことができるというのは、たしかに近代の特色です。
日本で言えば明治以降ですが、実は仰げば尊しの本家のイギリスでもそういった社会の変化が日本に先駆けて起きていました。
とはいえ、日本のように明治維新で身分制度もガタガタに崩れた上での変化ならまだ違ったのでしょうが、イギリスはしっかりと貴族制度が残った上での変化でした。
労働者階級やその少し上の中産階級出身者は、多少の勉学を身に着けてもなかなか出世というわけにはいかず、運良く入り込んでも様々な壁を意識せざるを得ない社会でした。
そういった社会の歪を、ディケンズ、ブロンテ姉妹、サッカレー、ロレンスなどが小説にしています。
本書は、教育は何のために行うのかという点も含め、イギリス文学者の著者が一億総中流の夢に浮かれる(本書は1992年の出版です)日本人に問いかけるというものです。
18世紀までのイギリスでは、教育というものは特権階級のみのものでした。
一部の王侯貴族は一流の教師を個人で雇い家庭で子女を教育しましたし、学校へ通わせる場合もオクスフォードとケンブリッジの2大学、そしてそこに入るための教育を行うパブリックスクールに限られていました。
そこでは、神学や古典など、実社会には全く役に立たないことを教えられ、そういったことを知っているということが、特権階級の証でもありました。
しかし、産業革命で社会の構造が変わっていくと中流階級と呼ばれる人々が増加していき、彼らを教育する機関というものが必要になってきます。
こういった新興の寄宿学校というものが出現していくのですが、最初は国の監督や規制というものも無く、その教育内容や環境も劣悪というものが多かったようです。
なお、「ギニー」という通貨単位がありますが、これはこういった学校や教師に対する謝礼として払うためにできたという話です。
つまり、1.05ポンドにあたる1ギニーというものは、おおっぴらにチップを取ることができなかったこういった聖職者に、元々5%のプラスアルファが含まれているギニーで渡すという目的があったのだということです。
寄宿学校よりさらに貧しい人向けの「慈善学校」というものもあったのですが、そういったところの環境はさらに劣悪。そしてその教師に対する報酬も低額だったのです。
シャーロット・ブロンテのジェーン・エアはこういった状況を描いているということですが、読んだことが無いのでよくは知りません。
ブロンテ姉妹の父親は貧しい牧師だったのですが、その娘という立場では当時はほとんどまともに就ける職業というものはなく、こういった学校の教師か富裕階級の家の家庭教師くらいしかなかったのです。
いずれも尊敬されるには程遠いほどの職業であり、収入も低く、またそこに入り込むとほとんど結婚相手も見つからないというものだったようです。
イギリスでは政財界の中枢にオックスブリッジ以外の大学出身者が進出できるようになったのはようやく第2次大戦後になってからだったようです。
そのような状況下での立身出世のための教育というものがどういうものか、身分制度というものの深い闇というものが感じられます。