爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「地球的問題の政治学」中村研一著

現代の地球の懸案である問題は、どれもが地球的規模のものであり、小さな国がそれぞれ対応したとしても解決は難しいものです。

しかし、それに対して全地球的に対応しようとしてもその組織自体が存在しないことも多く、何もできていない状態であると言えるでしょう。

 

著者の中村さんは政治学者ですが、その経歴を見ると最初は大学の理学部で学ばれたようです。

そのためか、冒頭の地球的問題の解釈においても理系的解析が必要な場合でも間違いなく理解できているということがよく分かります。

さらに、著者は若い時にはインドなど地球的問題のはっきりと現れる場所に実際に身を置き様々な体験をしており、それがその後の思想的バックグラウンドとなっているのかもしれません。

 

本書の前半部は、現在の世界が抱える「地球的問題」を説明しています。

感染症」、「人口」「飢饉」「資源枯渇」「環境破壊」「人の移動」「第二の核時代」が取り上げられています。

「あとがき」で正直に語られているように、「第一の核時代」「軍事化」「恐慌」はすでに類書で多く語られており、「災害」「ジェノサイド」「宗教紛争」は著者の力不足でここでは扱わないということです。

 

その解析には冷静な数値的考察が加えられており、これには著者の理系頭脳が十分に発揮されているものと見えます。

 

「飢饉」がなぜ特定の地域に起きているのか。

これには、著者が若いときに飢饉の状態にあると公式に認定されたインドを訪問し、外国人向けのホテルには十分に食料が行き渡っているのに、その外には食料を求める人々が多数居るという、経験も活かし飢饉は全体としての食糧不足ではないということを論証しています。

 

資源枯渇の章でも、元々アメリカの国内で産出された石油によって石油時代が始まり、その後早くにアメリカ国内の産出は終了、そこから石油を求めて中東に進出したと言う歴史的な過程を間違いなく解釈しています。

 

そのような、世界的な課題に対してどのように対処していくか。

それには、これまでのような国単位の行動では不可能でしょう。

問題がすでにグローバル化しているのに、それに対する政治基盤が一つ一つの国単位であっては穴だらけであり効果的な対応は不可能です。

 

このような主権国家同士が条約などの取り決めで国際関係を取り仕切るというのは、1648年に30年戦争の終戦処理をおこなったウェストファリア条約の名を取り、ウェストファリア体制と呼びますが、それが現在でも国際関係の大枠を規定していると言うことができます。

 

しかし、その「主権国家」と言うものでは対応できなくなっているのが現在の国際関係であり、そのような「ポスト主権」の状況でどうやって世界の諸問題に当たるのかが問題となっています。

国際連合、欧州共同体といった、国を超える組織による統治ということも行なわれていますが、どうやらその限界もかなり低い位置にあるようです。

 

それらの組織では世界規模の問題が扱われますが、その中で民主的な方策が取られているのか、かなり疑問も生じているようです。

国際組織というものが主権国家同士の関係で動かされていると、国家の段階では存在した民主的な統制というものが忘れられてしまい、国家間の力学で動かされることになりかねません。

 

著者はそのような状況下で民主的な筋を通すためのものとして、NGOというものの可能性を大きく見ているようです。

日本ではなかなか大きな力を持つに至らないのですが、欧米では人手だけでなく資金力の面でも大きくなっているとか。

特に、アフリカにおいては国家というものの力も権威も損なわれてしまっているために、NGOの占める位置が増大しているようです。

 

さて、本書前半部にあげられた多くの問題点に対し、どのような政治が対応できるのか。

現状は極めて不十分であるのは確かでしょうが、妙案も無いように思います。

 

地球的問題の政治学

地球的問題の政治学