爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

製造業の海外移転とは何だったのか

トランプがアメリカ第一主義と称してアメリカ国内での製造業復活を目指すかのようなポーズを示し、中国などと貿易戦争を繰り広げていますが、この原因はアメリカの製造業の海外移転に始まると言って良いでしょう。

別に、中国がやりたくて始めたわけではないと思いますが、そんなことに耳を貸すトランプではありません。

 

さて、海外移転といえばもちろんアメリカに限った話ではなく、日本でも以前から多くの企業が海外進出を果たしています。

その理由としては、「国際競争力を高めるために製造コストの安い海外に製造ラインを移転する」ということが挙げられ、誰も別段それを問題視することもなく、皆ほとんど納得して進められてきたはずです。

 

しかし、アメリカでは主に労働者階級の収入が激減する事態となりました。まだ金融資本に属する上流階級はがっぽりと稼ぐために国全体としては落ち込まないものの、格差の拡大という形で歪みが大きくなっています。

 

日本でも富裕階層は増加はしているものの、アメリカほどには歴然とはしていません。

その代りに、社会全体として沈滞し続けています。

 

海外移転による製造コスト削減とは、原料の輸送コストの削減ということも若干はあるかもしれませんが、ほとんどが労働者の雇用コストの削減であることは間違いありません。

製造業を受け入れたそれぞれの国にしてみれば徐々に賃金上昇の傾向が見え、雇用コストも上昇しますが、それでも労働者賃金としてはまだまだ格段の安さです。

そして、そのような安い賃金での製造コストがグローバル基準となってしまったので、先進国の賃金も下降するということにもなりますし、それ以上に先進国内での製造は先細りになる一方です。

それが、日本においても格差拡大につながると考えられていますが、本当は労働賃金の縮小です。

人によって、失業、非正規雇用化、賃金低下等々として現れてきますが、総額としての労働賃金すなわち労働分配率の低下ということになります。

 

日本でも、アメリカでも、ヨーロッパでも、労働者階級の賃金は縮小し購買力が低下してしまった。

製造現場となった途上国でも、労働者達は以前と比べれば収入が増えたとは言えまだ高額と言われるほどの賃金を貰ってはいません。

 

そうなると、製造現場を途上国に移した製品を「誰が買うのでしょうか」

買うことができるのは、ごく一部の金融機関と大企業本部に属する人々、そして投機などで儲けることができた賭博者たちだけであり、いくら金を持っていても彼らの購買力には限りがあります。

 

「海外との競争力アップ、製造コストの削減、製造現場の海外移転」それぞれは、各企業の努力の方向として間違っているとまでは言えないものですが、それを皆が同時にやったことで世界規模で経済が沈滞したということでしょう。

 

どこかで、断ち切らねばなりません。しかしそれが保護主義の復活なのか、鎖国をする必要があるのか、次の時代の経済構造を見通す思索がなければ何をやっても無駄になるでしょう。