周辺各国との領土問題はナショナリズムを奮い起こすための道具ともなりかねず、なかなか冷静な議論はできないものとなりますが、その中でも韓国との間の竹島問題は過熱気味になっています。
本書は歴史学者で日朝の近世の関係史がご専門という池内さんが、歴史的に見て両国の主張はどうかという点に絞って論証しています。
とはいえ、こういった本に対し領土問題の先端で論争を繰り広げている人々からは厳しい批判が来ることも著者は予測してます。
あとがきにあるように、
おそらくは、相手の弱点ばかりをあげつらい、どんな論法を使ってでも相手を打ち負かしたいと考える人たちは、日韓を問わず、本書に対して悪罵を投げつけるに違いない。
と覚悟をしています。
しかし、この本で見せた歴史の検証という手法には著者は自信を持っており、もしも学問的な批判がしたければ、本書を同様の水準に立った学問的手続きを経たうえで、反論を述べよと言っています。
15世紀から始まる竹島(独島)をめぐる日朝の関係史は本書前半に詳細に説明されていますが、興味深いのは終章に記されている「固有の領土とはなにか」という議論です。
最近では、学校の教科書にも領土問題の記載が強制され、必ず載せられるようになっていますが、そこには必ず「日本固有の領土である」と記されていますが、その根拠については明記されているとは言えません。
実は、「日本固有の領土」という短い文章の意味は、普通に考えられるような「むかしからずっと日本の領土だった」というものとは異なるようです。
政治学研究者の木村幹が2012年にまとめた「固有の領土」論が極めて有用ということです。
それは以下のようにまとめられます。
①竹島が日本の「固有の領土」であると主張される時、そこで述べられているのは竹島が「過去よりずっと日本により支配されてきた」ということではない。
②「固有の領土」論とは、特例の領土がその領有権をめぐる紛争が勃発する以前において、自国以外に支配されたことがないという主張である。
③したがって、竹島問題にあっては、1905年以前に他国、つまりは韓国がこの島を支配したことが有効に示されなければ自らの「固有の領土」論が成立する。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、1905年というのは当時の国際法環境において有効に正当に竹島を日本領に編入した時です。
もしもそれ以前に朝鮮が竹島を支配したという記録があればそれを示せということです。それがなければ、いかに帝国主義的手続きであったとしても1905年の手続きは有効ということです。
ただし、このような「固有の領土」論は戦後少し経ってからの日韓両国の竹島領有を巡っての争い(当時は議論もしていました)のときに持ち出されたものですが、その当時の議論は上記の現代の論旨とは少し違っていました。
「古くからずっと日本の領土」ということが、より強調されていたのです。
それは、江戸時代の幕府の布告などを理由として言われていたのですが、その事実は明らかに誤りであるということが分かってきたために、それは取り下げてしまったようです。
この辺の「固有の領土」論は北方領土でも、尖閣諸島でも同様です。これらの地域を日本が古くから支配してきたという事実はありません。
しかし、同時に他国が支配したという事実も無いというところから、それが言えるということです。
本書前半の歴史的資料による検証の部分は詳細すぎて要約は難しいので省略します。
触れられているのは、
第1章 于山島という名称は朝鮮でどのように使われてきたか。鬱陵島なのか、竹島なのか。
第2章 17世紀に領有権を確立したと称するのは事実か。
第3章 元禄竹島一件、安龍福事件
第5章 古地図
第7章 サンフランシスコ平和条約
といったところですが、日本政府の資料の曲解もひどいものですが、韓国政府も負けず劣らずのようです。
まあどちらが正当かなどということを決める気もありませんので、これ以上は触れませんが、巻末に語られているように、国際司法裁判所(ICJ)に提訴して解決を委ねるというのも一法ですが、どちらが勝つか必ずしも明らかとは言えず、しかもこれは100対0でどちらかが勝つということにななりそうもありません。
その場合に、双方がある程度譲るということになりますが、日韓双方ともそれでは国民を納得させられないだろうということです。
余計なお世話かもしれませんが、学校教科書にあのように根拠不明の書き方で「固有の領土」と書かれているのに、もしも頭脳明晰で読解力も十分な生徒がこの本を読んだらどうでしょう。
新書版ですし、不可能なことではないと思いますが、それでその生徒が「疑問あり」と言ったら教師が答えることは難しいのではと思います。