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爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実」村上宣寛著

心理学者村上さんの知能指数IQをめぐる事態についての解説です。

 

冒頭にあるように、「私の知能指数は150だ」といって自慢する人が居ます。

これはどうやら何重もの意味で誤ったことだそうです。

まず、最近の知能テストでは150などという指数は出るはずがありません。かなり古い(”古代の”と表現しています)テストをそのまま使っているのでしょうか。

古い知能テストというのは、基準点が低すぎるそうです。知能の低い児童を取り扱うべき相談所などでは、あまり低い指数が出ると面倒なので、こういった古いテストを使ってごまかすこともあったようです。

さらに、知能テストの成績は時代とともに上がり続けています。これをフリン効果(不倫ではない)というのですが、20年でIQ平均は15も上がったそうです。

 

さて、そもそも知能とは何か、頭が良いとは何かという点についても様々な論争があり、学説が出されてきました。

ソーンダイクは「真実の観点から見て正しい反応をする能力」と言いました。

ターマンは「抽象的思考を遂行する能力」としました。

 

こういった学者たちの知能の定義とは、実は何ダースもあり、それぞれ少しずつ違っているそうです。

「知能とはなにか」ということにはまだ決まった答えはありません。

 

アメリカのポーリングは知能の定義として「知能とは知能テストが測ったもの」と言いました。決して人を馬鹿にしたわけではなく、物理思想を応用したものです。

知能テストは知能の一部しか測っていません。しかし、それでも客観的に測った指標としてはそれしか無いのでしょうがないというものです。

 

一般人と専門家に「知能とはなにか」を質問した研究もスタンバーグにより行われました。

一般人は「実際的問題解決能力、言語能力、社会的有能さ」を挙げました。

専門家は「言語知能、問題解決能力、実際的知能」にまとめました。

 

専門家の知能というものの見方は狭い範囲に偏っているのですが、一般人はより広く社会的な態度まで知能に含めていたということです。

 

タンバーグの報告以降、各国で知能観についての調査が行われました。

すると国によって知能観の大きな違いがあり、西洋では勉強を続けることが評価され、中国では謙虚さや自分の周囲の完全な認識が必要とされていました。

また、アフリカでは知能とは部族関係を調和させることだと認識されていたそうです。

文化により知能というものの見方も違ってきます。

 

それでも日本・韓国・中国・台湾・カナダ・メキシコで調査された「頭の良い人」はどのようなものかという調査ではある程度まとまった概念が示されました。

 

それは、共感性・社会性能力、対人的能力、知識の把握・処理能力、判断力・決断力、表現力・センスだそうです。

 

このような知能観がある一方で、とにかく知能というものを測らなければならないという社会的要請があり、知能テストというものがその妥当性を棚上げして発達してきました。

20世紀初頭にはフランスのビネとシモンによりビネ・シモンテストという知能テストが作られました。

これは改訂されながらその後100年も使われ続けています。

最初はその結果というものも曖昧だったのですが、そのうちに知能指数IQというものを算出するようになります。

 

最初は単純に精神年齢を暦年齢で割るという形で計算しました。

これがまだ使われていると信じている人もいるようですが、実はこれはすでにはるか昔に棄却されています。

現在使われているIQの計算式の定義は、IQ=(テスト得点ー所定の年齢で期待される平均得点)/(所定の年齢の標準偏差)✕15+100というものです。

 

 知能テストは先に述べたビネ・シモン式検定に始まり、陸軍α・β式、ウェクスラー式へと発展していきました。

それらの内容はあまり一般に知られているものではありません。

本書にはそのものズバリを紹介するわけには行かないということで、著者がウェクスラ式テストに模して作った例が書かれていますが、見たところいろいろな知識を問うだけの問題のようです。(例えば「浄土宗を開いた人は誰か」とか「日本三名園をあげよ」とか)

ウェクスラ式検査は1939年に始まったものです。それから児童用、成人用などが改訂され、1991年にも改訂版が出ています。

日本向けにはそれからかなり遅れて発行されています。これはその質問内容が単に和訳するだけではだめで、内容を日本文化に合うように変えしかもその正答率などを調査し調整する必要があるためです。

 

また、集団用知能検査(入社試験などで使うものか)はほとんど研究者が関わるものは無くなっており、企業が作成しているものばかりです。

 

著者はこれらの知能テストについてその内容も検証しています。

それによれば知能因子(最初に述べた知能の様々な側面)は数多くありますが、これらの知能テストで検証しようとしているものはそのすべてを網羅するどころか、せいぜいその3分の1程度しか扱っていないそうです。

つまり、総体としての知能を測ることなどできず、知能のごく一部を数値化しているだけというものなんでしょう。

 

さらに、これらのテストの妥当性検証というものも無いに等しいということです。

つまり、これらテストで知能優秀と判定された人が実際に学力や社会的能力が優れているかということを検証できていないということです。

 

まだ公務員試験には一般知能問題があるということです。

知能テストの結果が勤務成績に関係するのでしょうか。

その程度のことは調べようと思えば調べることは可能です。入社・入庁した職員の試験当時の知能テスト成績とその後の勤務成績を比較すれば良いのですが、それをしたという例は無いようです。

結局、何の裏付けもないテストをやって採用の根拠としているのですが、それが妥当かどうかも確かめられていないということです。

 

もしかしたら落とすべきではない人を落とし、取るべきではない人を採用しているかもしれない。本当なら社会的な損失は莫大なものです。しかし、これをまともに受け止めて確かめようとする人はいないそうです。

 

日本における心理学分野の状況のお粗末さを感じさせるものでした。

 

IQってホントは何なんだ?

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