話を続ける必要上、自動車社会解体のために石油燃料車の使用禁止に向けた政策を考えるという方向で書こうとしたら、イギリスやフランスでガソリン車使用禁止という話が飛び込み驚きました。
news.yahoo.co.jpこれは先を越されたかと思って少々焦りましたが、まあ私の考えとはそこまで重なるものではないようです。
とはいえ、ヨーロッパ先進国ではそういった政治的方向性を確実に検討しているわけで、自動車の経済効果だけを考えている日本政府やアメリカトランプとは大きな差が生じているのは間違いなさそうです。
それでは、どこが違うかを見ていきましょうか。
イギリス・フランスは2040年までに電気自動車化を進め、その年にはガソリン車・ディーゼル車の販売を禁止するということです。
つまり、社会構造の変革といった根本改造を政府として主導するということは考えず、あくまでも電気自動車代替を進める中で社会の変化も促すということでしょう。
私の考えでは、これは非常に難しいものと思っています。
電気自動車は今はまだ非常に微小と言えるほどの規模しか占めていません。
ガソリン車は今では様々な資源の搭載を行なっているとは言え、基本的には鉄だけで作られるものです。だからこそ現在のように数億台の自動車が地球上に氾濫することになりました。
しかし、電気自動車には鉄以外にどうしても避けられない蓄電池というものが必要になります。
これに鉛を使うか、リチウムを使うか、さらに別の資源を使うかはわかりませんが、いずれにしても大量の資源が必要となります。
これが現在のガソリン車と同数の電気自動車の分だけ供給できるのか。
また、現在では電力供給も問題とはなっていませんが、将来仮に自動車がすべて電気自動車となった場合に電力は大丈夫なのか。これも現在のままごとのような電気自動車使用状況とは異なってきます。
私は完全には代替は不可能と考えています。
つまり、「自動車の総数」というものがかなり減少する状態で、ガソリン車禁止ということをしなければならないということです。
あと、20年余りでそのような状況に対応できるような社会変化が「自然に」起きるでしょうか。
ここはやはり「社会変革」を最初から主たる目標とするべきでしょう。
つまり、自動車総数を相当減らすことを前提とし、それでも動くような社会に変えていくということです。
これは事実上、「自動車社会の解体」ということになるはずです。
私の考えでは、「ガソリン車販売禁止」などという野蛮な手法は取りません。
やるべきことは、ガソリン等化石燃料使用車に対する高額な税金賦課です。
その具体的数値はまだ算定できませんが、ガソリン税だけでも数十倍、その他自動車保有税、道路使用税等といった負担をしていただければ、走行自体を禁止することはないでしょう。
そして、それらの税金を用いて大規模な公共交通の整備を行うわけです。
その公共交通体系の再構築というものが、何度も書いているように「脱自動車社会の構築」というものにつながっていくわけです。
(続く)