衆議院の小選挙区の区割り変更が発表され、議員定数の削減の他にも多数の選挙区区割りの変更が公表されており、混乱を招いています。
もともとは、議員定数あたりの有権者数が最大と最小とで2倍以上となったために裁判所で違憲状態と判断され(相も変わらずの判決で、三権分立など絵に描いた餅というものですが、今回はそれには触れません)、それを最小の手直しで誤魔化そうという小手先の手法ですが、都道府県全体での定数削減だけでは手に負えなくなって多数の選挙区の変更につながったものと見られます。
今朝のテレビニュースでも、選挙区選出議員とその後援会の会員が「築いてきた関係が途絶える」とし、政治不信にもつながるとして批判していました。
まあ、国政に携わる衆議院議員が地元との関係だけのような存在でも困るのですが、これも今は置いておきます。
問題は、このような事態が頻発するのが「小選挙区制」の宿命であるということです。
今回のような小手先の修復ですら多数の選挙区で区割り変更が必要となるのですが、もしもこれが私の考えるような「理想的小選挙区制」であればその事態が全国の選挙区で毎回選挙の度に頻発することになるはずです。
私の考える「理想的小選挙区制」とは、決して政治の状態として「理想的」なのではありません。
ただ単に、「選挙制度として合理的であり、理性的決定方法である」というだけの意味です。
それは、全国の有権者数を衆議院議員定数で割り、その数と小選挙区の有権者数が限りなく近づくように、最低限は市町村などの人口も加味して行政単位を尊重しながら組み替えるというものです。
そうすれば、選挙の度に議員あたりの有権者数の比率は限りなく1.000に近づくはずであり、公平性は最大に保たれることとなります。
しかし、このような制度運営を行えば上記のような「議員と地域のつながり」などはどんどんと薄れていくでしょう。
さて、それでは数々の問題点を一気に解決する選挙制度は何かということです。
それは「完全大選挙区制(全国1区)」です。
地方ごとの選挙区などは設けずに、すべての議員は完全全国区で選出します。
それでなぜ、地域と議員の関係が保てるかと言えば、それを求める議員や後援会は「地元党」とでも言う政党でも作りそれで選挙戦を戦えば良いだけの話です。
例えば、私の住む熊本県なら「熊本党」とでも言う政党を作り、そこから候補者を立てれば良いのです。まあ、それで何人当選できるかはわかりませんが。
地域との関係は求めないのであれば、職域政党でも良し、(例えば「金融党」とか、「土木建設党」とか)、ほとんど流行らないでしょうがイデオロギーでも良し(例えば「共産党」とか「社会党」とか、あれそのままか)、宗教でも良し(「公明党」とか、これもそのまま)
いろいろな種別の政党ができるでしょうが、すべてを同等の条件で選挙で選ぶだけの話です。
こうすれば、いわゆる死票というものは最少で抑えられますし、少数政党でも投票数に応じた議員を確保できるという利点があります。
社会正義という観点からは非常に優れた選挙制度だと思いますが、どうでしょうか。