著者の仲正さんは政治思想史が専門という金沢大学教授ですが、こういった現代の若者の抱えている問題についても詳しいようです。
「リア充」というと、聞いたような気もするのですが、何度聞いてもよくわからないというのが爺さんの感想です。
本書は直接「リア充」を論じているものではありませんが、リア充幻想の諸相とも言える「格差社会」「モテ/非モテ」「人間力」「友達」といった各幻想について語っています。
なお、「リア充」とは「バーチャルではなくリアル実生活が充実している」という意味で、「金持ちで、モテて、コミュニケーション能力があり、友達もたくさんいる」という状態を示すということです。
そんなの居るのかいな。
この本が生まれた発端は、2008年6月に起きた「秋葉原通り魔事件」でした。
秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み17名の死傷者を出したのですが、その犯人Kは携帯サイト掲示板で犯行予告をしており、静岡を出発して秋葉原にたどり着くまでに30通のメッセージを書き込みながら移動しています。
その行動は異常なものと報じられましたが、実は若者が誰もがやっていることとほとんど変わらないものかもしれません。
第1章「格差社会幻想」はまだ分かる部分もあるのですが、第2章「モテ/非モテ幻想」になるとなにやら分からなくなってきます。
男性が女性にモテるかどうかということかと思ったのですが、どうもそう簡単な話でもないようです。
ネット用語の「モテ」というのは、必ずしも恋愛と直接関連しないもののようで、これは「承認」の問題だそうです。
そう言ってしまえば、実は他の多くの大人にも関係ある問題であり、例えば著者の知人である大学教員や研究者の中にも自分の研究が人に認められない「非モテ」という人々が大きなコンプレックスを持っているようです。
つまり、それは「疎外されている」ということであり、それならそう言ってくれよという気もしますが。
しかし、そういった「非モテ」の若者が「モテ」に対して抱く幻想というものは大きなものであり、さらにそれが事件の犯人の強迫観念となっていたのかもしれません。
加藤智大(本名出ちゃってます)の書き込みには「世の中のイケメンが女を独占している」という恨み言もありましたが、そもそも本人が「一人の人にモテたい」のか「不特定多数にモテたい」のかも判然としていない。(本人も分かっていない)ようです。
第3章「人間力」になるとさらに生々しい話なのかもしれません。
最近は小手先のハウツーではしょうがないと言わんばかりに「人間力をつけましょう」ということが良く言われており、若者たちがそれに振り回される状況になっています。
この所、大学と企業の「産学共同」という意思が高まり、結局は大学が巨大な就職予備校化してしまっています。
その中で、大学生が「コミュニケーション能力を持って会社の人間関係に適応する」ような「人間力」を身につければ就職にも有利というものですが、そんなものが簡単に習得できるはずもありません。
もしも受験地獄といっても勉強だけを問われるのであれば、落ちたとしても「受験がすべてじゃない」と自分を納得させることができましたが、「人間力がないから落ちました」ではまったく救いがありません。
「人間力がない」=「協調性がない」とも言えますが、かつての東大生などは中高生のころから「協調性がない」と学校で言われ続けた人が多かったようです。
そこで「勉強だけはがんばろう」と奮起して合格したというのが典型的とも言えそうですが、そんな東大生は今だったらどうするんでしょう。
こういったネット用語の世界というものに、若者が皆影響を受けているということではないのでしょうが、今の若者でなくて良かったというのがおっさんの感想です。