爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「〈戦争責任〉とは何か 清算されなかったドイツの過去」木佐芳男著

「ドイツは戦争の謝罪を行い補償もしたのに日本はしていないから」といった話はよく聞きますが、その「ドイツの謝罪補償」というものについてはあまり詳しくは知りませんでした。

ブラントが犠牲者碑でひざまずいたとか、ヴァイツゼッカーの演説といったことは薄々とは聞いていた気がしますが、それも詳しいことは分かりませんでした。

 

そういった点について、元読売新聞の特派員で現在はフリージャーナリストという著者がドイツでの取材などを重ねて詳しく解説されています。

 

ただし、本書の基調は「ドイツもはっきりと清算しているわけではない」ということですが、だからと言って日本もこれ以上の謝罪は必要ないなどという結論になるわけもありません。また、本書内容もすべて丸呑みにしてしまうのは少し危険かと思わせるものがあります。

したがって、一応この本の内容も紹介しておきますが、全てが正しいものと私自身が受け取ったわけではないのでお間違えないよう。

 

もちろんドイツ人にも様々な人がいるでしょうから全てがそうだということはないのですが、先の大戦については全てをヒトラーとナチの責任として片付けるという風潮があったことは間違いが無いでしょう。

そこには「悪いドイツ人と善いドイツ人」がはっきりと区別され、ほとんどのドイツ人は「善い」というトリックが作られました。

ここには大戦後すぐに東西冷戦の最前線となり、分断国家となったドイツの事情が大きく影を落としています。

西ドイツでは対ソ連の重要な戦力としてドイツの元軍人も利用されるのですが、その協力を受けるためにも大戦時の多くのドイツ国防軍は道義的に無罪であったとして免責する必要が生まれました。

 

ナチスだけでなく一般の軍人であるドイツ国防軍戦争犯罪というものを追求する動きはドイツ社会のほぼ全体から強く反発を受けたそうです。

また、慰安婦問題というものも存在しておりドイツでは「強制売春」と呼ばれていますがそういった事実は紛れも無く存在していたにも関わらずほとんど触れられることもないタブーとされているそうです。

 

大戦後には戦犯を裁いた軍事法廷が日本でもドイツでも開かれました。東京裁判ニュルンベルグ裁判ですが、その性格はかなり異なるようです。

この2つの裁判はロンドン憲章というものを根拠として開かれました。

そのA項が「平和に対する罪」すなわち侵略を始めて世界を戦争に巻き込んだとする罪、B項が「通例の戦争犯罪」これはそれまでも戦争犯罪として扱われていた捕虜の虐待や民間人殺害などの罪、そしてC項が「人道に対する罪」で大量虐殺や奴隷的強制労働などといったものを指します。

 

このA,Bが主に東京裁判で扱われ、ニュルンベルグではCが最重要項目でした。

逆に言えばドイツではすでにAの罪人はヒトラーを始め死亡していたという事情があり、東京ではそちらの認定が最重要であったといことです。

 

なお、余談ですがお恥ずかしい話ですが、「A級戦犯」という言葉の意味をこの本で初めて知りました。まあ多くの人が同様の認識ではないかと思いますが、なんとなく「A級戦犯」というのが一番悪いやつでBC級は下っ端といった認識だったのですが、ちゃんと使い分けがあったということです。

 

1970年に当時の西ドイツのブラント首相がポーランドを訪れた際に、ワルシャワのゲットー記念碑にひざまずいて祈ったそうです。それがポーランドに対する謝罪のように考えられ、評価されたのですが、実はこの碑は「ワルシャワユダヤ人」の被害者のためのものであり、一般のポーランド人全てを対象とするものではありませんでした。

虐殺したユダヤ人だけに哀悼の意を捧げたものでしたが、ポーランド全体に対するものであったかのように広告に使われたようなものでした。

 

1985年に当時のヴァイツゼッカー大統領が行った演説はドイツの国家としての謝罪が述べられていると一般には捉えられていますが、これも実は一般のドイツ人も1945年5月8日は解放の日であったと述べているように、ヒトラーナチスに全ての責任を押し付け、形だけはドイツ人全体も責任の一端はあるといった程度のものでした。

 

しかし、ドイツ人の中にもこのトリックに気づき批判している人も一部には居たようです。

また、1997年には当時のヘルツォーク大統領はドイツ人全体の責任に言及し、ポーランド人に謝罪するという演説もされているようです。

 

ドイツには日本で言うような「平和教育」というものも存在しないようです。あくまでもユダヤ人虐殺が問題視されるために、人種主義や人種差別というものについての教育はされるものの、戦争自体が悪でありそれを避けるという意味での平和教育にはなっていないということです。

 

確かにこの本で紹介されている内容には事実がかなり含まれているのでしょうが、それを間違って使ってしまうと大変なことになりそうです。

本来はドイツがどうであっても日本には関係ありません。日本として正しい道を行けば良いだけの話です。しかし参考にはなりました。